フランス風懐石料理中華風: 2017-04

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2017 4/23 大阪市設南霊園訪問【五代友厚氏の墓標】【長州藩死節群士之墓】

大阪市設南霊園は62,000平方メートル(13,800区画)を誇る最大級の霊園墓地で
明治7年に大阪府が開設、八弘社(明治8年7月~明治40年2月)を経て明治40年2月大阪市が引継いでいます。
またもともとのこの場所は田畑地。そして移転元は西区千代崎や千日前の墓地など市内点在の墓地を集約。
明治以降千日前での刑場廃止に伴いこの地に移転したとの事。
かねて幕末史の勉強を始めた時からいつかはいかなきゃ。。。とおもいながらもあまりの広大さになかなか行く勇気がでず、ついに昨日行ってまいりました。

目的は【五代友厚氏の墓標】【長州藩死節群士之墓】の参拝となります。



五代友厚さんは数回前の朝ドラ「朝が来た」で一躍有名になりました。
マイドーム大阪や大阪証券取引所の前に立像がありますよね。



「八月十八日の政変」以来、完全に隠れた行動に徹した長州藩。起死回生の案を話し合うために京都池田屋で会合を行っていたところを新選組に急襲、そしてこの知らせが長州へ届き藩の方針が一転強硬へ転じ禁門の変(蛤御門の変)の勃発に繋がりました。
その後は第一次長州征伐へと進んでいきます。


【碑文】
ここに祀る四十八霊は長州毛利藩の士卒で元治元年六月伏見鳥羽に出陣し戦利なく傷ついて引き上げる途中大阪桜ノ宮で捉えられ投降を強いられたが義を重んじ節を守って服せずあるいは憤然自決しあるいは千日前刑場にて悲痛の最後を遂げられた憂国不遇の烈士である。よってここに碑を建てて慰霊の誠を捧げその義烈を後世に伝えんとするものである。
昭和三十一年晩春 長友会 建之
死節群士之墓  明治二年八月建 長州 



ということで、このあたりが幕末史では興味深いところです。



 あまりにも広すぎる霊園に行かれる方のためにおおよその場所をご案内!
赤丸のあたりに五代友厚さんのお墓があります。で、青丸のあたりに死節群士之墓があります。

私はいきあたりばったりで探し回って1時間くらいかかりました(;´・ω・)

ということで禁門の変以降の情勢を抜粋!

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2010/2/13 教科書にかかれない日本史 高杉晋作決起
http://sweet-mikan.blogspot.jp/2010/02/2010213.html

元治元年(1864年)7/19に起こった禁門の変の結果、7/24には、長州追討令が発せられる。
そりゃ、大砲を御所に向けたらあかんわな。。孝明天皇は激怒。わなわな怒りに震えながら「長州を討て!」といわれたのでしょうか。
江戸にある上屋敷(日比谷公園付近)下屋敷(六本木ミッドタウン)にあった長州屋敷は7/26に幕府に抑留され、その後2年間で50人以上が亡くなったそう。京都河原町のホテルオークラ付近の屋敷は禁門の変のために焼け野原に乗じて脱出。大阪のYMCA辺りにあった藩邸は全員無事長州へ脱出成功したそう。
8/1には西国34藩に長州征伐が命じられ、8/7には徳川慶勝が征長軍の総督となり、そしてついには8/22には長州は朝敵の烙印を押される。 
まさかの朝敵。足利尊氏辺りの時代に遡らないと朝敵なんて言葉はでてこない。
ましては平穏無事な江戸時代ではだれもが思わなかったでしょう。このために毛利のお殿様父子は改名することになりました。
毛利慶親(たかちか)は敬親に。そして毛利定広は(さだひろ)は広封(ひろふう)に。もちろん、官位は剥奪されたのは言うまでも無い。
 なんとか解決策をと喧々諤々。長州の中では「正義派」VS「俗論派」に分かれたために互いが互いの命を狙う内紛に突入。有能な人材を次々と失ってゆく。
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2017 4/23 大阪護国神社

良く晴れた23日は、かねてから参拝したかった「護国神社」さんへお参りをしてきました。

この護国神社さんは、昭和15年創建で新しい神社になりますがそれでもその意義は非常に重く、支那事変をきっかけとして、英霊に参拝をしたいという人々の願いからこの大阪の地に建てられたそう。

天誅組、西南の役、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争に関する英霊の御霊を祀りしているとの事。しかしながら昭和20年の敗戦後は、当然に禁止されたために仁徳天皇をごお祀りするための「浪速宮」と改称その後、昭和27年のサンフランシスコ講和条約締結後に大阪護國神社になったとの事。
先般いってきました靖国神社さんのような静けさとなかに凛と張り詰めた空気の中に様々な慰霊碑があり、しっかりと手を合わせてまいりました。

大阪護国神社   http://www.osakagokoku.or.jp/










それぞれの慰霊の碑に記載されている銘板を読み進めるうちにどうしても私の脳裏に浮かぶ「君臣湊川」「七生報国」の言葉。


楠木正成公が、圧倒的不利で負けるとわかっていた戦いにおいても当時の後醍醐天皇の命にしたがい湊川の戦いで戦死をしたというエピソードで、これは幕末史に何度も登場するキーワードで第二次世界大戦中からすると650年程度前の話。

また幕末からすると550年程度前の話。現在からすると730年ほど前のお話。
「君臣湊川」の決意は長州藩が幕末の方針をめぐり意見が分かれた結果、藩の方向性を破約攘夷とさだめ、その心意気を「君臣湊川の決意」と評した。

また「七生報国」は七回生まれ変わってでも朝敵を倒し(朝廷に)報いたいという楠木正成公自刃の言葉とされています。

これが上述のとおり、赤穂浪士や幕末の動乱期、そして数度にわたる近代の戦争に登場しています。
現代人としてとても複雑な心境で心が痛み、国の安寧を信じ、それぞれの思いを信じ
御霊となられた方々の安らかな眠りを祈るほかありません。
そして 朝鮮半島をや中東をめぐり様々な戦いの火種がある現在、どうぞ穏やかな解決がされることを祈ってやみません。

2017 4/16 明日香村でサイクリング

前に来たのは何年くらい前になるでしょうか。

たしか次女がようやく自転車に乗れるようになってすぐだったのでおそらく20年以上も前になるかもしれません。
また、この地にはいろんな思い出があります。

その昔、OBCのアナウンサーの水本貴士さんのラジオ番組でこの地で公開録音があることを知った母が私を連れて参加。当時はレンタサイクルも無く、畑の真ん中に石舞台古墳がポンッとあるだけでした。
また、とても厳しい高校生活を送っていたころクラスメイト全員でサイクリングに来たことや高松塚古墳の壁画が大ブームになったころ等人生のいろんなシーンでこの地を訪れています。

そしてマイブームの【宇宙皇子】。この小説の舞台が飛鳥。

なにかと思い入れのある場所なんですよね。

大阪阿部野橋駅から40分程度で飛鳥へ到着。本当にこんな近いなんて便利になったものです。

さて、朝9時30分頃に近鉄の飛鳥駅に到着、そのままレンタサイクル店へ直行しました。今回はじめて電動アシスト付き自転車に乗ったのですが、もう手放せませんねー。

どんな坂道でもスイスーイ!本当に便利なものができたのですねー。
走り出しの時の感覚がなかなか使えなくてひやひやしましたがすぐに慣れちゃいました。

ということでサイクリング開始です。

春の風にのって乾いた草の香りを感じます。


やっぱり、明日香村といえば高松塚古墳!

その極彩色の壁画が話題になったのは何年前の事でしょう。あの切手シートを買ったのを思い出しました。
 
で次々と定番スポットを回ります。
亀石・鬼の雪隠・鬼の俎板をめぐり石舞台でお昼ご飯です。

亀石ぃぃ!



鬼の雪隠!



鬼の俎板!



そして石舞台古墳!



まぁなんてのどかな春の景観なのでしょう。

午後からは、聖徳太子の生まれたお寺の橘寺さんで御朱印を頂戴しました。


境内には桜が満開!


境内にある二面石を撮影。ちなみに善悪の顔だとの事。



天武・持統天皇陵に手を合わせました。



最後にキトラ古墳四神の館へ移動。


西暦600年頃の文化が今になって次々と蘇り、また明日香村のなんとも言えない素朴な風景がおもいっきり心を癒してくれます。



ぜひおすすめのスポットです。

2017 4/15 大阪造幣局の通り抜け

もう何年になるでしょう。

私の毎年の恒例行事の一つの造幣局の通り抜け今年も行ってきました。

相変わらず沢山の方々が一様に並んで桜並木を通るだけの行事なのですが、5年前頃から風情が薄れついに今年は閉口しました。

観光都市としての大阪!という位置づけを目指すのは良いのですがアジア圏でしかも漢字文化とハングル文化の方々のマナーが最悪で、しかも注意を促すアナウンスがそれぞれのお国の言語で始終流れているので風情なんでまったくありません。

まぁ・・造幣局の通り抜けは今年限りとしてしばらく行かないようにしようと思っています。

そんな中でも、綺麗で趣のある様々な桜は黙っていろんなお花を見せてくれました。

これも時代の流れなのかもしれませんね。

【関連ページ】
2011 4/16 教科書に書かれない幕末史 大阪遷都計画


大川沿いの桜並木はなかなか豪華ですねー。
天神橋からの長めです


大混雑。。たぶん半分くらいが外国の方。。












源八橋からの眺め。右側が造幣局。左側は藤田美術館や太閤園。
遠くに大阪城が見えます。


それでもねー。
毎年愛でることができるってありがたいのですよね。

2017 4/8 神戸八社巡り後半と幕末余話

先日3月12日に行きました神戸八社巡りの後半戦となります。
前回は体力の限界に達したために一宮神社さん~五宮神社さんで断念、今回は六宮神社~八宮神社さんとどうしても参拝したい神社二か所を加えた工程となりました。

前回は神戸三宮スタートでしたが今回は阪神電車新開地駅スタートです。



初めての新開地訪問での下情報では相当な盛り場らしいですが移動経路では特に感じることもなく途中で真盛丸殉難者供養塔を発の発見。



1917年の第一次世界大戦でドイツ潜水艦に撃沈された商船の殉難乗組員の供養のために建てられた供養塔との事。しっかりと手を合わせて海側へ進んでいきます。

西国街道 兵庫 柳原惣門跡の碑の横にあった立派な「柳原天神社」さんにもお詣りしました。




兵庫大仏で有名な「能福寺さん」に到着です。
私のお勉強のテーマの一つでもある明治初年の廃仏毀釈による廃れ行く仏教界を危惧し兵庫の豪商の南条荘兵衛氏の発願と民衆により巨大な廬舎那大仏が建立されたそう。
ところが第二次世界大戦の敗戦の色が濃くなってきた昭和19年5月に金属供出で取り壊されました。しかし平成3年5月に市内の有力企業をはじめ民衆の力で再建され現在に至るそうです。





またこの能福寺さんには神戸三宮神社前で発生した「神戸事件」の最大の被害者でもある岡山備前藩の滝善三郎さんのお墓があります。





神戸事件については下記の私の記事を参照してくださいねー。

 2010 10/16 教科書に書かれない日本史 神戸事件と伊藤博文 

切腹をされた滝善三郎さんの言葉「私は遠国の者(おんごくのもの)故、朝廷が外国人を大切に扱う方針になっていたとは知らなかった」二枚舌を持つ新政府を批判した痛烈な言葉。
 この言葉が本当に心に刺さります。しかし神戸事件に対して外国側は岡山藩から責任者を出して死刑にすることを新政府に要望。
まさか、フランス兵2人の軽症に対して切腹を求めるってどうよ?? 外国と早く肩を並べ無ければと焦る気持ちと、国内情勢の歪の犠牲となられた滝善三郎さんに合掌。

また、幕末Funには欠かせないジョセフ・ヒコの英文碑がありまあした。
兵庫大仏建立後に増加した外国人の参拝とともに訪れたジョセフ・ヒコさんに、当時のご住職さんが依頼して能福寺さんのご由来を英文で書いてもらったそうです。





次はお寺を出て東へ進むと途中で見かけたとっても神戸らしい郵便ポストを発見!



無事七宮神社さんへ到着。
桜の花が満開のとっても美しい季節。参拝&記念撮影と御朱印をいただきました。




さて次の目的地を目指します。

今度は山側へ移動して到着!「湊川神社」さん。




この神社は幕末を語る上では欠かせません!なんといっても楠木正成さんのお墓と徳川光圀さんの「嗚呼忠臣楠子之墓」の文字!







この戦いに勝ち目が無くとも後醍醐天皇の期待に添うために果敢に戦い散っていった楠木正成公が残した功績は大変なもので、赤穂浪士の討ち入りや戊辰戦争を経て第二次世界大戦から現代においても脈々と受け継がれています。現代では若干の曲解があるようですが。。



2010 5/30 楠木正成公生誕の地
http://sweet-mikan.blogspot.jp/2010/05/2010-530_30.html

幕末に登場する正成公のキーワーどとしてまずはずせないのは「君臣湊川」。これは長州藩が打ち出した攘夷実行に対する心意気。
全員討ち死にを覚悟で攘夷に当るという「湊川の戦い」を含めた言葉。
ちなみにこの「君臣湊川」が大二次世界大戦あたりになると「君臣奉國」となりお国のために・・という言葉となったそう。当時から500年も前の話はちゃんと受け継がれていたのです。

「七生報国」の考え方は「七回生まれかわってでも、逆賊を滅ぼし、国に報いてみせる」とした楠木正成公の言葉で、天皇にお仕えする気持ちと、自分が死ぬとわかっていても戦い抜くという気持ちの現れです。これが「忠義」でありこれは私的には『義』(正しいと信じる事)を『忠』(心を込めて尽くす事)する事にあります。この場合は、後醍醐天皇の為に尽くす事だったのでしょう。

ちなみに、歴史ブームの折、「歴史上の人物で一番空きなのは誰?」と問いかけるとまず
「坂本竜馬」でしょう。ところがこの同じ質問を戦前に行うと修身の教科書にも掲載されていた「楠木正成公」であったそう。時代と共に変化するんですよね。

ということで参拝&御朱印を済ませたところで気になる冊子を発見!
「楠木正成と吉田松陰~正成になりたかった松陰~」を購入。あ・・・やっぱり!
一坂太郎先生の著書でした。帰りの電車で速攻読破!やっぱ一坂太郎先生の解説はよくわかります。また落ち着いたら講座へお伺いしますね。






さて、今回の八社巡りの最後を飾るのは大倉山駅前にある「八宮神社さん」と合祀されている「六宮神社さん」です。





はい!無事参拝&御朱印を済ませて今回の神戸八社巡りも無事終了です。

今回はたまたまニュース番組でみたこの企画。実際に行ってみるとなんと興味深いものが沢山ありました。
色んな時代に彩られた歴史が一つの線につながって行くことがとても興味深く、まだまだ私の興味は尽きません。