フランス風懐石料理中華風: 2016-10

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2016 10/22 東京観光「靖国神社」

私の東京散策の最後の地に選んだのは「靖国神社」です。

九段下の駅から徒歩5分程度。日本武道館の向かいにあるなんて知りませんでした!
地名はわかっていてもどうも結びつかないようです。


さて、駅から歩いていくと彼方に巨大な鳥居が見えてきました。





第一鳥居は靖国神社創建五十周年記念として建立されましたが昭和十八年戦力増強のために撤去され小さな檜の鳥居に変わったそう。
そして戦後全国の方々からの浄財1億6千万で昭和49年にこの大鳥居が再建復活。高さは25メートル、幅は34メートル。
八階建てのビルの高さに相当する日本一の規模です。















第二鳥居をくぐり本殿に進みます。




参拝をすませて散策。

様々な慰霊碑とともに大砲を発見!

安政元年のロシア軍官ディアナ号が安政地震のために座礁。
その際に救助し無事ロシアへ乗組員が帰ったお礼として送られた30ポンドキャノン砲。








この後、さすがに疲れた私達は「市ヶ谷」までの途中でカフェで休憩。

その後「代々木」で別れて私は品川から一路大阪へ。





新幹線は18時前。帰宅したのは21時ころとなりました。

さて、大阪にも遊郭関連や幕末関連の歴史は沢山ありますが東京の比ではありません。
ちょうど世田谷の松陰神社さんでは、松陰先生の御命日にあたる今月、イベントがおこなわれており一坂先生も上京されていたようです。お伺いできずに本当に残念でした。

次回は丸ノ内より西側を中心にめぐってみたいとおもいます。

2016 10/22 東京観光「十思公園」

「十思公園」でピンとくる方はどれくらいおられるのでしょう。

幕末大好きな私からするとぜひ行きたい場所。そう・・小伝馬町の牢獄があった場所で
吉田松陰先生はこの地で処刑されています。


2013 10/19 歴史と人間 久坂玄瑞


















狭い牢獄の中で「留魂録」を認められた際に書かれた辞世の句

『身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂』の碑
先生らしい右上がりの文字です。






公園の横の建物ロビーに展示されている小伝馬町牢獄模型で当時の間取りや様子を知ることができました。処刑の場所や詮議の場所等を見る事が出来ました。








何とも言えない気持ちのままで次の目的地の「靖国神社」へ向かいます。

2016 10/22 東京観光「寛永寺」「上野東照宮」「上野」と「藪そば」

「鶯谷」で娘夫婦と合流し三人で「寛永寺」へ向かいます。







詳しくは下記を参照してください。

2010 12/18 教科書に書かれない幕末史 江戸開城と彰義隊


彰義隊隊員が立てこもった寛永寺。この場所への移設とのことですが
それでも間口45m、 奥行42m、高さ32mという壮大な根本中堂です。







「上野東照宮」
徳川家康さん、徳川吉宗さん、そして徳川慶喜さんをお祀りしています。

上野公園ではいたるところにパフォーマーさんやイベントが開催されていて大賑わい。







大阪にもあった東照宮(川崎東照宮)。たしか銅の灯篭が天満の天満宮さんに移設されていたはずです。













「上野公園の入り口のランドマーク」西郷さんの像と彰義隊のお墓。








詳しくは下記を参照してください。

2010 12/18 教科書に書かれない幕末史 江戸開城と彰義隊

朝の8時からずっと歩き詰めの東京散策もやっと午前の部が終了!
お昼は江戸前の蕎麦を堪能。



途中、NHK朝ドラの舞台になった「アメ横女学園」もありました。







上野藪蕎麦 でようやく一息!

新そばのようで香りも十分!蕎麦湯まで堪能しました。





さて、次の目的地は「十思公園」です。


2016 10/22 東京観光「山谷」「新吉原」「入谷の鬼子母神」

ここが「山谷」なのかぁ・・・。しばらくして気が付きました。
東京の地名はわかるけれど地理と結びつかないのです。

マンガ、アニメでも有名な「あしたのジョー」は山谷が舞台との事。





「山谷ブルース」(1968年) 歌:岡林信康 作詞 / 作曲:岡林信康



さていよいよ「新吉原エリア」です。

ランドマーク的な「土手のいせや本店

新吉原に行く前に沢山の男性はここで腹ごしらえをされたのでしょうね。
10時30分頃に通過しましたがすでに長蛇の列でした。






「吉原の街並み」

吉原大門の交差点をすぎるといっけん普通の商業地なんだけど、大門をすぎたあたりからソープランド?なのかな?がいっぱい!

その昔、遊女さんが逃げられないように入口/出口は一か所だけ。。
エリアの周りには堀があって土手がある。。。。その土手にあったのが上記のお店。。









「吉原神社」


公式サイトはこちらです。http://yoshiwarajinja.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai00.html

そして新吉原につていは下記に詳しく書かれています。

http://yoshiwarajinja.tokyo-jinjacho.or.jp/yoshiwara00.html





江戸初期までこのあたりは湿地帯だったそうですが
明暦3年(1657年)の大火後、埋め立てを行い吉原遊郭が
現在地に移転。昭和33年までの300年間に及ぶ新吉原の歴史が
あった。
そしてこの地の池のほとりに弁天堂が出来て信仰をあつめました。
大正12年の関東大震災のときに火災から逃れようと
この池に飛び込み490人が溺死するというなんとも云えぬ悲劇がおこりました。
そしてこの観音像はその供養のために大正15年に建立されたそうです。




















「恐れ入谷の鬼子母神」(おそれいりやのきしもじん)って言い回しは小説や昔のドラマなんかでも
使われていましたが現代じゃもう死語かもしれません。
単に「恐れ入りました」って意味だけなんですけどねー。









ということで、「三ノ輪」「南千住」「入谷」を歩いて散策しこのまま「鶯谷」の寛永寺へ向かいます。

2016 10/22 東京観光「小塚原回向院」「首切り地蔵」「泪橋」

「小塚原回向院」

寛文7年(1667年)本所回向院のご住職が行路病死者や刑死者の供養のために
開いたお寺。
吉田松陰さんをはじめ橋本佐内さん、頼幹三郎さん、入口近くには関鉄三郎さんのお墓も。
明和8年(1771年)蘭学者の杉田玄白さんらの腑分けと称する解剖により解体新書を翻訳。

間口60間(108m)奥行30間(54m)の1800坪の敷地。
ここでは磔・獄門などの刑罰や死刑者、行倒れ者の埋葬、遺体を使った刀の試し切りや解剖も行われていたそうです。





橋本左内先生のお墓



吉田松陰先生のお墓。

松陰二十一回猛士と書かれています。




たしか教科書でみたような。。
解体新書のマーク?






「首切り地蔵」












「泪橋」

吉田松陰先生が小伝馬町の牢獄から小塚原刑場へ移されたときに通られた
泪橋。いまは交差点に名前を残すのみ。




位置的には回向院さんから徒歩5分くらい。



次の目的地は「山谷」から「新吉原」「入谷の鬼子母神」です。