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2014/02/11

2014 2/11 大阪城の城内焼亡埋骨墳

慶応四年1月、明治維新によって旧幕府が本拠としていた大阪城が新政府軍に引き渡されるに際し、これをいさぎよしとしない幕臣たちが、城内に火を放ち自害いしたという。
新政府軍の主力だった薩摩・長州両藩の有志たちは彼らの遺骨を埋葬し武士の鑑とたたえて同年7月にこの石碑を建立した。のちのこの碑は「残念塚」・「残念さん」と呼ばれ、どんな願いもかなえてくれる神様として人々の信仰を集めた。