フランス風懐石料理中華風: 2013-06

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2013 6/30 第26回柳谷観音・泰聖寺講談会 ~日越国交樹立40周年記念事業~

大阪の夏の始まりをしらせる愛染祭が開催。愛染坂を下った箇所にある泰聖寺にもお参りをいただきたいものです。
 
さて、今日は珍しいベトナム講談ということで作家のさんもお越しくださいました。
日本ではまったく知名度のないベトナムの国民文学的作品の金雲翹のお話で
幸せに暮らしていた王族の家庭に不幸が舞い込みヒロインが辛い目に会いながらも苦難を乗り越えて成長してゆくというストーリーでした。
 
「序章・王翠翹、金重との別れ」 旭堂 南斗
「廓からの脱出と束其心の恋」 旭堂 南舟
「鬼か蛇か!恐怖、宦姐の悋気」 旭堂 南青
「希望と絶望…そして旅の果て」 旭堂 南左衛門
 
 
なかなか興味深いお話でしたがとっつきにくい箇所もちらほら。
なにか下地があればより理解できたのではとおもいました。
 

 

 

 

2013 6/23 第38回りっくぷり寄席〜おもしろ落語カタログ〜

毎回参加のお値打ち寄席。

広々としたホールでゆったりとした雰囲気のとっても感じの良いホールです。
今回も早めに到着しましたので1Fの図書館で色々とお勉強させていただきました。

 
林家染吉 みかん屋
前座さんでこの噺だからどうしても駆け足気味になっちゃうのか。それでも
染吉さんの惚けたような話術で会場はとっても良い雰囲気に仕上がりました。

 
桂竹丸 ハンカチ
2011/1のめふ乃寄席で竹丸さんのハンカチをお聞きしておりました。
たしか二丁拳銃の小堀さんの作で、面白い中にもしっとりとした夫婦の愛があるお話。
大好きなネタです。
 

林家染雀 質屋芝居
マクラはスーパームーンのお話からうまく仮名手本忠臣蔵の下地の無い方にはキツイかもしれないと、前フリをちゃんとされた染雀さん。
芝居物の描写が秀逸で、ついつい歌舞伎の三段目を見ているような空気になったとたんに
質屋のお客さんを出してくる!その対比が楽しめました。
 

笑福亭福笑 葬儀屋さん
落語でお腹が痛くなるくらい笑うってことがめっきりなくなっていた私でしたが、
今日はまぢでお腹が痛くなりましたww
代書屋を思い出させるような、葬儀屋さんと3人兄弟の大爆笑の会話がツボで
その後繰り広げられる奇想天外な風景!やっぱ笑福亭福笑さんってすごいです!

2013 6/18 シトラスカッターのススメ!

シトラスカッターを導入!
なんでもっと早く買わなかったのかなって思えるくらい超便利!







これで私の柑橘系ライフがいっそう充実まちがいなし!
なんせ一口大に切れるんだから、もう分厚い皮むき作業はまぢ不要です!

2013 6/16 大阪市内薩摩藩邸跡

昨日投稿の田中河内介さんにまつわる大阪市内にあった薩摩藩邸の場所を調べてみました。

1枚目は1863年の地図。天誅組の変や8.18の政変、馬韓戦争のころ。

 
 


2枚目は昭和18年の地図。






今の大阪には古き良き地名が皆無です。
本当にさみしい限りです。

2013 6/15 歴史と人間 幕末維新編 田中河内介

志士という言葉はたしかに一坂先生が言われるように、勝者の言葉であり敗者に志士という言葉は使われていない。歴史の舞台に登場した者は皆、熱い思いをもっていろんな志を持っていたのに、歴史が二分してしまい、勝った方にのみ志士という称号を与えたのでしょうか。

田中河内介さんのお話が書かれている書籍は少なく中々知られていることにない方だがその背景は驚くべきものがある。

明治維新には二つの流れがある。
一つは外様大名雄藩を中心とした動き、そしてもう一つは在野の人たちを中心とした動きで、
今回は在野に相当する。

1815年(文化12年)~1863年(文久3年)
但馬の国出石郡神美村香住(豊岡市香住)の小森家(医者)の家出身。
この但馬には古くから、天皇家の末裔が移り住んだという話があることから、家庭境域が行き届いているという言い伝えがある。

元々は小森正造(和歌山出身)が移り住み教信(もりのぶ)という農家の青年だが熱心なので養子として医者を継がせ2代目となる。その子供が信古と河内介とのこと。
河内介はとても勉強熱心で21歳(天保六年 1835年 )、で京都へ行きざまざま著名な儒教家に入門。そしてついに念願の私塾を開く。
非常に評判が高いことから尊攘派公卿の中山大納言忠能(ただやす) 卿に仕えることとなる。
その後、家臣の田中近江守綏長(あやなが)家に入り婿となり、田中姓となる。
中山大納言忠能(ただのり)には忠愛(ただなる) という長男(後の右中将)・次女の慶子(よしこ)(後の明治天皇の母) 、そして忠光(ただみつ)(天誅組で有名)という次男が居た。

河内介には長男の左馬介(磋磨介)が誕生。非常に賢くて9歳で詩を作り出すくらい。


嘉永五年(ペリー来日の1年前)忠能の次女の慶子が妊娠する。彼女は孝明天皇の側室である。
妊娠を知った河内介は安産祈願で大阪本町にある座磨神社へ祈願に行っている。
そして無事誕生!祐宮睦仁が誕生。
通例では女官が養育するが河内介は女性を全員排除し、男性ばかりの環境で河内介自らが5歳になるまで養育を行う。

河内介は毛利と薩摩は特別視をしている。
元々天皇家は200石程度の生活基盤であるが、毛利、薩摩は多額の献金をしている。

さて、ペリー来航の条約勅許のドタバタ騒ぎのときには中山忠能はまったく動いていない。日和見的な立場であったのか。国家の一大事である時勢の対応に対し不満をもった河内介は辞表をだして仕えることを辞めてしまう。(安政4年8月)
※わざと辞めた恰好としていろんな密命を与えていたという説あり。
そして九州旅行へでかけている。
目的は真木和泉に会うこと。ところがタイミング悪く会えなかった。その後、島津斉彬に会うことができて武力での進軍を提案している。
そう簡単に動くわけはない。

そこで忠愛(ただなる)を通じて青蓮院宮に働きかけて斉彬に動くように働きかけた。うまくいくように見えたがなんと斉彬が急死してしまう。
そこで、親交があった大分県岡藩の小河一敏、薩摩の是枝柳右衛門(誠忠組)へ働きかける。
誠忠組は和宮降嫁反対・春嶽・慶喜の復権を望んでいる過激グループ。

鎮西義動・・九州には沢山の同志がおり、みんなで立ち上がることを目的に河内介の説得が始まる。そのために勅許をを得るか、青蓮院宮より指示をいただいた形にするか、もしくは大原三位と同行し薩摩をけしかけるか・色々と検討したがいずれもNG。結局は忠愛(ただなる)の手紙をもち各藩を廻り決起を促すことに落ち着く。
そして出発するその直前で意外な客がやってくる。
それは薩摩藩士柴山愛次郎/橋口壮助。彼らは安藤信正が死んだという情報(坂下門外の変)と島津久光が1000人の兵隊を連れて上京するという話をした。
実際は安藤信正は死んでいないし、上京の目的は別にある。
そして討幕のチャンスは今しかない!と吹き込んで行く。

すぐに河内介は小河一敏、真木和泉へ決起を促す手紙を送る。

その後、京都の薩摩屋敷に各藩より有志が集合するがあまりに目立つために京都ではなく
大阪の薩摩屋敷(二十八薩摩屋敷)へ集合させる。そして京へ移動。そこへ久光らが到着・・・征伐せよとの指令により寺田屋事件が起こる。。。。。

河内介らは助かったが翌日捕縛。
大阪天保山より船に乗せられて薩摩へ送られる途中神戸の垂水沖で息子の左馬介とともに惨殺、その亡骸を海に投げ込まれてしまい、その後小豆島に流れ着く。。

辞世は・・・ながらえてかわらぬ月を見るよりも 死して払わん世々の浮雲

法要が行われたニュースがありました。
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/locality/20110503000127



さて、その後、戊辰戦争が勃発。その真っ最中の1868年(慶応4年)3月26日に明治天皇の臨席で天保山沖で「軍艦叡覧(日本初の観艦式)」が行われている。その後、座磨神社へ参拝にいかれた明治天皇は宮司より、田中河内介の文章を目にする。。
側近に、『河内介』の所在を聞いたが誰も知るものがなかった。

それから数年後、明治天皇と内閣らが会食の最中に河内介の話が出た。
そこで、誰も話さない中で、当時堺県知事の小河一敏が、真相を話してしまうと同席していた
大久保らの顔が青ざめた。。そりゃそうだ。。
自分を5才まで養育してくれた河内介を薩摩藩がひそかに殺害しているのだから。
その後小河は閑職を転々とさせられたらしい。

2013 6/8 大阪市立美術館 ボストン美術館展

このドタバタのような1週間がすぎて、朝寝を楽しみたかったのですが、朝4時30になると目覚めてしまいます。習慣とは本当に恐ろしいもので結局いつもどりの規則正しい生活を楽しんでします。

さて、ボストン美術館展がそろそろ終盤をむかえるので今日は久しぶりに大阪市立美術館へ。

途中はお定まりの幕末の崇高な国学者さん、佐久良東雄さんの碑へお参り。
この碑に気づく方はまず居ないくらいのはずれの場所にあります。

大阪市立美術館の正面に背を向けて右手の坂道の途中の茂みの中にあります。
ぜひ行かれた方はご確認ください。

花の嵐に散るを見て 
事しあらば我が大君の大み為 
人もかくこそちるべかりけり



さて、ボストン美術館ですが、さすがに大入り満員!
列をなしてぞろぞろと動くような流れで2時間!その素晴らしい仏教美術や日本画を堪能してきました。



なんといっても曾我蕭白(しょうはく)さんの雲龍図!この迫力に圧倒!
これが本当に水墨画?って思うくらいの筆使いにその構図と表情。

いちおうLINKです。↓

http://www.boston-nippon.jp/highlight/05.html

これが生で見れちゃうんですからお値打ちですww

もちろん伊藤若冲さんの龍虎屏風図もすごい迫力でした。

さて、帰りは久しぶりの慶沢園へ寄って。。
あれれ・・なんとも奇妙な風景!ハルカスがにょきっと顔をだしています。


これも時代の流れなのでしょうねー。。

2013 6/8 北神ぎょうざ

天王寺でお昼ご飯!

あまりに久しぶりなのですっかり様変わりしている阿倍野界隈。


で、入ったお店は北神ぎょうざのお店。

餃子丼 500円なり。

熱々の餃子に若鶏の蒸し焼きがのっていておいしいタレがかかっています。
でもこのお店の餃子のタレは特性のお味噌+食べるラー油+醤油ベースのタレのミックスです。
これをかけて食べるともっちゃ美味です。

2013 6/7 福福ラーメン


福福ラーメンの期間限定 肉醤油ラーメン。

あっさり醤油にもみじおろしがアクセント。食べ応えのある豚肉に、しっかり細麺がスープに
馴染んで食がすすみます。
他にも餃子とから揚げとビールを飲んじゃいましたww

お弁当生活になって1年。休日前の晩御飯はたまにはガッツリ!えへへww

2013 6/2 わつか市

先日5/14のニュースアンカーに、わつか市が取り上げられました。
まぁ世間ではやりの手作り市の紹介程度かな?と考えていましたがそれは大きな間違いでした。

安全な食に支えられる事の大切さを誰もが3・11以降に気づき、それならと自らがムーブメントを起こす。

そんな由来に支えられたコンセプトがわつか市で、手作りの味や生産者の顔が見え、そこにはいろんなこだわりと信頼と安心を求めてお買い上げいただいている訳です。

 わつか市はホントに色んな縁をくださいました。


私も今回は『ねむねむや』と『宇口農園』のご縁で参加をさせていただきました。
朝早くからの設営と販売/撤去の合間にいろんなショップの方々とお話しをさせていただけました。

本当にありがたいことです。
 

7月はわつか市はお休みとの事。なので次回は8月4日になりますのでご注意くださいませ^^


 
 



 

 

2013 6/1 大阪大空襲 港区戦没者法要

毎年6月1日は大阪港区にある西栄寺さんでの法要に参加させていただいています。

http://sweet-mikan.blogspot.jp/p/blog-page_7391.html


昨年の法要では、いままでのご住職さんがお亡くなりになられ息子さんに変わられました。
そして今回は新しい代となって2回目。
 
正信偈を朗々と唱えてくださいました。
 
このBLOGのどこに書いたか忘れましたが、私の本家筋は浄土宗で、我が家は分け合って曹洞宗。
宗派によってお経はずいぶんちがいますがそれでも亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、二度と悲劇を繰り返してはいけない気持ちを新たにすることができました。
 
この法要は特にご案内があるわけでもなく、口コミで伝わっています。
もしお身内の方やお知り合いのかたで大阪市港区で戦死を遂げられたかたがおられましたらせひお声をかけてください。
 
 
 


 
 
 

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