フランス風懐石料理中華風: 2012-12

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2012 12/31 年末に寄せて

今年のように色々と出来事があった一年は初めてでした。

昨年秋の大手術の経過が思わしくない事から5月に再手術。
そして15年間勤めた会社を退職。そして新たな会社へ就職。
極めつけは7月に信号待ち時にノンブレーキで普通乗用車に追突されました。
昨年4月には信号待ち時にタクシーに追突事故を受け、今回ばかりは間違いなく死んだ・・と思いましたが奇跡的に外傷はゼロ!

本当にありがたいことです。

そして新しい会社に入って一番に感じたことはその社風。
色々と書くと弊害がありますが、【努力する者、夢語り、怠る者は愚痴語る】
そして【諦めた者は何も語らない】。

 私はどのタイプになるのでしょうか。

社会人である以上、労働は必要ですが私に期待されていることと私が期待することがマッチしているかどうかは今の段階では疑問です。

これが愚痴になるのであれば私は怠る者ということになりますね(笑)

色んな出来事があっただけに、来年は平穏無事が一番!
穏やかな心で健やかに暮らしたいものです。

2012/12/25 何を言うやらミカンやら

朝5時からいつも[子守康範 朝からてんコモリ!]を聞いています。

その中で話題になっていた[何を言うやらミカンやら]がネタになっていました。私はずっと原田のぶろうさんのギャグだと信じ込んでいましたがどうやらもっと昔の事らしい。

で、語源は1922(大正12年)/04に出版された[如意宝珠巳 春野の旅] の中に出てくるそうで、作者は出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)さん。この方は宗教「大本(おおもと)」の教祖とのこと。

 WIKIでその生涯を読んでみたがとでも興味があります!いくつか書籍を調べてみたいと思います。

夏彦『モシモシお爺さま、此奴ア、由良の湊の秋山彦の門番をして居つた男です。偉さうに口ばつかり開くのですよ。朝から晩まで門を開くのが商売だから、その惰力が未だに残つて居つて、大門のやうな大けな口を開きよるのだ。相手になりなさるな。この男の云ふ位な事は、私だつて、年の功は豆の粉だ、豆の粉は黄な粉だ、黄な粉はヤツパリ豆の粉だ。猪喰た犬は、犬のどこやらに勝れた所が有りますワイ。私が教へてあげませう』

加米彦『コレコレお爺さま、此奴はなア、ウラナイ教の黒姫と云ふ、口ばつかり達者な奴に十年間も朝から晩まで、法螺を仕込まれて来た奴だから、何を言ふやら、蜜柑やら、金柑桝で量るやら、なにも分つた代物ぢやありませぬワイ』


爺『最前からこの老爺が一生懸命に頼みて居るのに、お前さま達は、この老人を飜弄するのかい、エーエやつぱり英子姫さまのおつしやつた偉いお方は、この御連中ぢや有るまい。アーア阿呆らしい、コンナ事ならこの重い足を、老人が引摺つて来るのぢやなかつたのに……』

 参照)

2012/12/23 講談祭

会場へは13時すぎに到着。母に先に会場入りしていただいて私は車を置きに大国町の駐車場へ。
で13時半に会場に着いたら驚きました!
えぇぇ?会場がいっぱい!お客様がどんどん。。。。何があったの?
ついに講談の時代がきたか!って思いました。


旭堂南舟 松浦壱岐守
赤穂浪士の討ち入りには四十七士に関する本伝、それぞれの個人のお話の銘々伝、
そして討ち入りに関係した方々のお話の外伝があるとのこと。

さて、この松浦(まつら)壱岐守のお話は外伝。お話のイメージからすると
赤ら顔のエラそうにしている松浦壱岐守。寒い日には生き炬燵と称して女性を先にお布団へ入れて温まるのを待つ・・そんな感じの方らしい。
山鹿流の陣太鼓が聞えてきた、慌てて様子を探りに行かせた松浦は・・・。

旭堂南青 赤垣源蔵 徳利の別れ
今日の講談祭は今までにない客入り!
座椅子席と長椅子席の間にスペースをつくり座椅子を増やすために後ろに下がっていただきました。
今まで前に詰めていただくために「お膝送り」というのは経験がありますが[お膝下がり]というのは
初めて!ありがたいことです。

討ち入りの前夜、兄の元へ別れの挨拶に来赤垣源蔵。ところが残念ながら会うことが出来ず、また姉も体調不良とかで会えなかった。
お手伝いの女中が応対をするが・・・。

そのしっとりとしたお話に客席のいろんなところから「グスッ・・・」もちろん私も・・。

客席参加型対談「討ち入りの嘘と誠」
司会は南舟さん。メインは南北さん、南左衛門さん。
一番気になるのは、なぜ浅野内匠頭は吉良さんを襲ったのか。
いろんな説があるがまずは、賄賂説。これは吉良さんからすると当然の事で作法を教える授業料のような物。
ところがいろんな事実検証がされて賄賂説ではないという結果に。
次に出たのは男色説。浅野内匠頭さんには日比谷右近というお小姓さんがいて、日比谷右近を吉良さんが見初めたという説。
ところが浅野さんはNO!でも時の大老の堀田正俊さんから同じ話がでた際にはすんなりOK!うほっ!って感じで逆切れしたのか。
で、次の説は塩の製法説。当時の塩は赤茶けたものだったそうだが赤穂だけは当時から白!吉良さんのご当地も塩を製造していて
この製法を知りたくて・・てな感じで刃傷沙汰になったのか。。真実は今となっては不明。。

旭堂南青さんが話された赤垣源蔵のお話ですが実は赤垣源蔵は赤埴(あかばね) 重賢(しげたか)。本当は下戸で兄はいないらしい(;´Д`)
お芝居や講談では大酒呑みということになってはいるが真っ赤なウソ!えぇぇ!

旭堂南左衛門 三村の薪割り
赤穂の浪士たちは情報収集にために身分や身なりを変えて町にでた。
ところが三村次郎左衛門は武士の姿のままでできることを考えた結果、変わった商売の薪割屋を始めた。
そこで知り合ったのが刀研ぎ屋主人の竹屋喜平次。
大の仲良しとなった二人は友情を温める。
そしていよいよ討ち入りが決まった・・・・・。



旭堂南北 夜もすがら検校(けんぎょう)

玄城検校(げんじょうけんぎょう)は琵琶の名人で、平家のお話を語らせたら一晩中でも語るという。そこで「夜もすがら検校」という名前が付いた。

彼は盲目の為に信頼できる付き人を一緒であったが、江戸からの帰りしなにトラブルが起こる。なんと付き人が色と欲に目がくらみ検校を中山道の雪深い山の中に・・・。
この冬の日にぴったりの臨場感あふれる口調でお話くださいました。

今日の講談祭の一日は講談の魅力をしみじみと感じた一日になりました。

講談ってドキドキしたりハラハラしたり。頭の中にいろんな人物がでてきて語りかけ、泣いたり笑ったり。。張扇の音一つで場所も時代も一っ跳びの素晴らしい芸能だとおもいました。願わくば、もっともぉぉっと講談がメジャーになりますように。

2012 12/16 笑好寄席

笑好寄席は今回で4回目の参加となります。
前回の事があってか、いつもよりも2か月ほどずれこんだ笑好寄席。
冒頭に席主の桂 文三さんのご挨拶があり、その意気込みと想いが はっきりと伝わってきました!
桂 文三さん!本当にありがとうございました。

笑福亭 生寿 狸の鯉
生寿さんの【狸の鯉】は今回で3回目となります。
最近、すこしふっくらとされてきた生寿さん、すごく所作、仕草がきっちりとされており
あきらかに上達されたなーってあらためて感心しました。
竹林さんとなかなか会えない生寿さんのお言葉!
しらべてみますと2009年に坊枝さんが 天王寺参りをされた回のようですねー。

林家 染弥 天災
無難にきっちりとこなされた染弥さん!
最後にハプニングが!! あぁぁぁ・・・・金屏風がwww
それにしてもお怪我をされなくて本当に良かったです。

桂 南天 壺算
藤井寺でなし、八尾でなし・・柏原市。。
たしかに南天さんの地元の枚方でなし・・寝屋川でなし・・四条畷と
街の雰囲気が似ていますねー。
また大阪人の言葉を切り口に笑いを巻き起こしてそのままネタに突入です。
  坪算では、壺が割れた経緯はバッサリ省略!
その代わりに番頭さんとの掛け合いが絶妙で
ゆにや黒兵衛さん、船場の料亭の比喩がおもしろかったです。
そのほか色んな所に南天さん独自のくすぐりが満載!
納得の面白さでした!

桂 雀喜 初天神
私にとって初天神は超思い出のネタ。 そ
れだけに聞けるのはありがたい。
でもおもいっきり1月の話なのでちょっとだけ えっ?てなりました。
こしゃまくれた寅ちゃんとおやじの掛け合いが面白く楽しめました。

桂 文三 はてなの茶碗
意表をつくマクラでなにか得した気分に!
【子の千三百六十五番!】の話で開場は 大爆笑!
茶道具屋金兵衛さんの貫録や威厳も申し分なく、また京の言葉と大阪言葉の対比も
見事で、はてなの茶碗の世界にスッと入ることが出来ました。
本当に無事に復活して良かったですね!
こんな素敵な寄席!来年からもずっっっ~と続きますように。

2012 12/15 歴史と人間 ~井伊直弼

昨日の金曜の夜に勤務先の忘年会があり、深夜に帰宅。
そのまま倒れこんで眠ったようで朝起きたら、大変な状態でしたww
食欲のなく、胃のむかつきと戦いながらも朝風呂。。それでも頭が痛くって。これはもう何年も経験していない二日酔いって症状。。朝食も昼食も食べることができないままにお勉強に向かいました。
今日はこのお勉強の後は年末恒例の一坂太郎先生教室の忘年会(・_・;)どうなることやらって不安いっぱいでしたww。


さて、井伊直弼は第11代藩主・井伊直中(なおたか)とお富の方との間に十四男として1815年(文化12年)に生まれる。不思議な縁で、安政の大獄で処刑した梅田雲浜氏とまったく同じ誕生日。
幼名は鉄之助。
直亮(なおあき)がすでに藩主を継いでいた。(3男)次いで直元(11男)がいる。。
当時は藩主を継ぐことができなかった次男坊以下は大変で、養子として入ることができなかった場合は一生を不遇で終わってしまう。この彦根藩では300俵で部屋住みとのこと。
これはなんとかかつかつで暮らしてゆけるギリギリな水準。

1834年には弟と養子の面接に行ったがNG・・・しかも弟が養子に入ったとか。。

埋木舎(うもれぎのや)で長野主膳に国学を学び、また居合や槍術、禅や和歌を学ぶ。特に茶道では有名で石州流。いくつもの書籍が存在している。
学んだ山鹿流兵法は日本を絶賛、しかも幕府は絶対的な権力であることを肯定する学問。武士としての道徳を説く。
また、国学の研究では長野主膳義言(よしとき)との出会ったことが大きなターニングポイント。
長野主膳は実は出身地等の情報は無いことから不明で同い年。
1842年(28歳)で主従の礼を結ぶ。

儒学は外道であり所詮中国の教え。山鹿は国学であり神道。幕府への忠義は天皇への忠義に通じるというおもいっきり保守的な学問の山鹿流。
ちなみに赤穂浪士の仇討は山鹿流ではNG!幕府の許可があればOKだが忠臣蔵事件はだめ。

1846年 世子 直元 死去⇒直弼(32才)⇒江戸へ向いはじめて将軍にお目見え。
1850年 直亮 死去⇒そしてついに直弼が藩主になった。
すぐに主膳を召し抱え、井伊家の勤王ぶりを調査させた。
直弼は天皇大好き!好みの刀をプレゼント。また御所の火事のあとは焼けた本を探し出して進呈。すっかり天皇は直弼を信頼しきっていた。
地理的なことがあり、彦根は京都の膝元。なにかあれば駆けつける藩。

さて、いよいよ時代が動き出す。

黒船がやってきたらすぐに江戸からお呼び出し!2000人で羽田・大森の警備を仰せつかる。

で・・意見書のくだり。。1853年/8/10の意見書では、キリスト教を国内に入れてはいけない。祖法があるので国を閉ざすことを説く。ところが8/29の意見書では交易を行い海軍の力をつけつことをといている。これって龍馬さんらが言ったようなことをすでに言っている。この不思議な意見書には訳がる。たまり場つめの新人の直弼さんはうるさ方を刺激しないように遠慮したのか。直弼の本音はもちろん8/29の方。ちなみにこの意見書は中川禄朗が書き、直弼が加筆して仕上げている。

徳川斉昭は、ペリーを打ち払え!直弼は迎え入れて穏便に!で対立してゆく。
品川の台場なんて無駄!兵隊が犬死するだけ!それよりも軍艦建造だ!の意見が本音。

そして3/3に日米和親条約を締結。

次にハリスが来日。

親交外交を自由貿易で進める旨の勅諚を求めるために堀田正睦を京都へ走らせるがもらえない。。1858年(安政5 44歳)4/22 大老に就任。
運悪く第二次アヘン戦争の情報が入り、アメリカの脅しに乗ってしまい6/19修好通商条約を締結。
保守派松平忠岡(上田の殿様)と直弼は勅諚をもらうかもらわないか・・もめてしまう。

そして直弼は5/12に家定の跡継ぎ問題についての話の際に、忠岡を罷免する工作をしてしまう。
これは公用型秘録(M18明治政府へ提出した資料に欠落していた情報)が発見されてはじめてわかった事実。

そしてついに、後継者は血筋のものから選ぶという勅許をGET!これはすなわち南紀派の家持を世子とすることを指す。 この勅許はなんと一ツ橋派に寝返った堀田正睦が隠ぺいしてしまう。

安政の大獄・・・そして桜田門外・・・。

井伊直弼さんは誰よりも尊王攘夷思想。。でもなかなか世に出ることがなく大変苦労され、時代の渦に翻弄された方だったのですね。


講座がおわると上映会です。

今日の映画は本当に珍しいお話。これは一坂先生のホームページに詳しく書かれていますので
そちらをご覧くださいませ。

研究室 ~ 『青年』の思い出 ~

原作:林房雄
脚本:杉山義法
場所:東京宝塚劇場
配役:
井上聞多:西郷輝彦
伊藤俊輔:あおい輝彦
高杉晋作:竹脇無我
プウラン:森繁久弥
毛利敬親:藤岡琢也


産経新聞の「わたしの失敗」という書籍の中の西郷r輝彦さんの項目に次のような文章があるようです。

昭和61年、東京宝塚劇場での舞台「青年」。その記憶は西郷輝彦の中に強烈に刻まれている。
森重久弥に指示してともに舞台を重ね、演じる者としての自覚も芽生えて来た頃のことだった。

 ~略
予想もしていなかったアドリブが森繁の口から飛び出した。
「きみの父親の名前は何という?」
頭の中が真っ白になるような”抜き打ち試験”だった。
観客を前にして物語の名前を止めるわけにはいかない。
あわてた西郷はとっさに自分の父親の名前を口にしてしまった。


「青年」の上映会が終わり一坂先生よりゲストの旭堂南左衛兵門様をご紹介いただきました。
この席で上方講談の解説や講談における人物名の変更等についてをお話くださいました。
また井上聞多の「袖付橋(袖解橋)の御難」に関する解説をいただき、一同そのまま
忘年会会場へと移動。

いつのまにか私の二日酔いも消えて、元気に美味しくビールをいただきました(笑)

2012 12/8-9 小浜旅行

この1年間はおそらく人生の大きな転機だったのでしょう。
交通事故に転職、そして大きな手術と盛りだくさん。
そこで今回は厄落とし企画として一族で1泊旅行へ行くことになりました。
で、候補地の決め手は長女の案!「カニもフグも食べられる場所」ということで
でググってみると速攻で福井県小浜に決定!

まさかとはおもうけれど・・雪道は走ったことが無い。。
1週間前に慌ててオーとバックスへタイヤチェーンを買いに行き

とりあえず1回だけ講習を受けて¥20,000でGET!
その後さすがにぶっつけ本番は危ないってことで
冷えこんだ夜半にもくもくと取り付けの練習をして1泊旅行に臨みました。


当日は朝8:30に出発。念入りに道路情報を確認しましたが今のところ問題なし!
ということでサクサクっと走り12時には小浜に到着!


お昼は若狭フィッシャーマンズワーフです。
好きなお寿司をわんさと抱え込んでの新鮮な握り寿司!
あ~ん!絶品!あまりのおいしさに写メを忘れました(;´∀`)


その後は御食国若狭おばま食文化館へ移動。
ここでまぁよく遊んだこと!
伝統工芸品をつくるコーナでは、めのう薄板模様付けとめのう磨きにチャレンジ!
私は、失敗がまず無いとおもわれるめのう磨きにチャレンジ!
まぁ30分だし。。。ところがこれが意外な展開に!

どうやら磨けば磨くほどに光沢が増すことがわかり、サンプルで展示されていためのうは
3日間磨いたらしい!ちょっち根性をだしてひたすら磨く!磨く!
紐をつけてもらって可愛いオレンジのめのうのペンダントが出来上がりました^^

15時になってチェックイン!
窓から見える日本海!
その向こうには雪景色の稜線が見えます。



早めにみんなで入浴してお待ちかねの夕食!
カニ鍋+フグ鍋の饗宴ですww。



茹でカニ、カニ鍋、カニのお刺身の横にてっさと湯引き、てっちりが並びます!
たぶんこんな光景は二度とみることはないかも!

で・・写真は?はい!ごめんなさい。わすれましたww


翌日も快晴!素晴らしい天候に恵まれて小浜観光。といっても小さな町のこと。。
先日の【幕末史】で習った【梅田雲浜】さんについての足跡をと調べると、さすが小浜の英雄。
雲浜地区というのがあって公民館やら学校やら。今は亡き小浜城跡あたりがその地区らしく雲浜さんの生家跡もありました。

写真は雲浜小学校の校門の中におられる梅田雲浜さんの像です。

また小浜城址では、石垣が残るのみ。
また堀もすべて埋め立てられ宅地化していました。









その後、フィッシャーマンズワーフの向かい側にある市場でいろいろとお買いもの!
干物や小鯛のささ漬をGET!これで思い残すことはないww。

無事全行程を終わり帰阪。

楽しかった小浜旅行も無事終了となりました。
福井県って意外と近くてびっくりです。暖かくなったらまた訪れてみたい県ですねー。

2012 12/6 凛と咲く花

和歌山県九度山にある旧萱野家(大石順教尼の記念館)の館長さんよりお知らせをいただきました。

それは大石順教尼の生涯を題材にした歌があるとの事!

さっとく調べてみますと、ありました!!

日本マーキュリーよりデビューされている歌手で寺脇暁子さんが歌う【凛と咲く花】。

2010年11月17日に発売されているようです!
ご興味のある方は詳しくは下記のURLよりご確認ください。
 






2012 12/2  わつか市




今回で参加2回目となるわつか市の為に、紀伊半島の反対側より前日の夕方に大阪に到着されました。

で、恒例のおミカン農園の方と一緒に前夜祭を開催!

今回は待ち合わせ場所は動物園前!ということはこれはやっぱ串カツしかないでしょうww

で夜の新世界にむっちゃ久しぶりに行きました^^
新世界よりデンジャラスな香りが無くなったかわりに、串カツ屋さんの健全な客引きのお兄さんがいっぱいです。
で、呑兵衛な私たち3人は2時間飲み放題のお店に突撃!いっぱい飲みました^^

 で・・串カツ屋さんにとっても気になるメニューが。。

ダチョウとワニ。。。。さては天王寺動物園が近いからか。。意味不明。。
で、もちろんオーダー!しなやかな歯ごたえで美味でした(笑)


翌日は9時の開店に間に合うように四天王寺さんへ。
もうすっかりお店が出来上がっておりました(;^ω^)

張り切って売りましょう!・・ところが・・急な寒波でお客様がすごく少なくて試食してくださらない。。

それでもがんばって15時の閉店まで声を出しつづけました!
まさか私が【ミカン売り】になるとはww

まぁ接客業は商売の基本だし。とても楽しい時間を過ごさせていただきました。
次回1月はわつか市はお休みなので2月3日(日)となります。