フランス風懐石料理中華風: 2012-09

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2012 9/28 高山かきもち / 高山竹林園

全国の茶筅の90%以上を生産している日本最大の茶筅の産地の奈良県生駒市の高山。
 
室町幕府8代将軍の足利義政の時代。。現在の高山は鷹山氏が支配していた村だったそう。
高山城主の次男の宗砌(室町時代中期の連歌師。山名時熙・持豊(宗全)父子の家臣で、俗名を高山民部少輔時重)が「わび茶」の創始者と目されている僧侶の村田珠光に依頼されて作ったのがはじまりとされています。

そののち村田珠光は京都へ移り、帝の後土御門天へ献上した茶筅をみて「高穂」と名づけられました。これに宗砌は感動し、茶筅作りに熱中。その作成方法を秘伝とし、以降、高穂茶筅が有名となりました。
その制作方法は一子相伝として第二次世界大戦中まで硬く守られてきました。

繊細で工芸品のような茶筅・・それはそれは見事なものです。
この高山竹林園では茶筅の制作方法や流派による茶筅の形状の違い、さまざまな茶道具を見ることができます。
 
 
 
さて、この高山にはもう一つ有名なものがあります。
 
この商業網が発達し、商業施設がたくさんある中で購入方法は現地の工場直売と、若干の通販。

【高山かきもち】を知ったのはMBSラジオでの宣伝で今から5年ほど前のこと。
はじめてこの「ころもち」を食べた時から病みつきです。
 
 
ひっきりなしに買いに来たお客様の車が出入り・・皆、その手には大きな袋を鈴なりのように持っています。
 

2012 9/22 天地明察

江戸初期、会津藩に使える安井算哲は算術&天体観測が大好きな碁打ち。

将軍の前で碁を披露する役目なはずが、4代将軍家綱の後見人で
会津藩主の保科正之に目をかけられる事になる。その流れで正しい暦を作成することを依頼される。

ネタばれになるので詳しくは記載しませんが、
江戸初期の風俗や家綱、光國や公家の生活を垣間見ることができます。


たしか、禁中並公家諸法度で色々と決められていた公家の役割に、暦の利権があったのか疑問が残ったけど、歴史大好きな私にはぴったりの映画でした。

 
全国を歩測で距離を求め、北極星との角度を測り正確な距離を割り出す三角測量を行っていたとは。。

正弦定理・・・うみゅ。。。。記憶にありません。。

 昔の方の努力って凄いのですねー。


http://www.tenchi-meisatsu.jp/index.html



2012 9/18 博多通りもん

同僚さんから頂戴いたしました♪

さっそくお抹茶を立てていただきました。

しっとりとした皮はほんのりとしたミルク風味で、口の中でとろけそうなくらいのやさしい白餡です。

さすが国際品質コンテスト:モンドセレクションで12年連続金賞!
6年連続特別金賞受賞しているだけのことはあります。

この美味しさはほかに類をみないとおもいます!

まぢオススメの西洋和菓子です。

株式会社明月堂 http://www.meigetsudo.co.jp/index.html




2012 9/15 歴史と人間 幕末維新編

今日の朝日カルチャーは「孝明天皇」について。

まさに幕末のキーマンであり、ひたすら開国に反対した方でどんどんややこしくなってゆく。

教科書では「長州は幕府と戦った!」という記述があるがこれは間違い!実際は天皇VS毛利が正しい。
幕府は天皇に命じられただけに過ぎない。
最近、【維新】というフレーズを多く耳にする。じっさい一坂先生のところにMBSの記者から取材があったそうだがなんとも維新とはなんなのかややこしい。。

◆江戸時代の天皇

1615年(慶長20年)に禁中並公家諸法度が定められた。これで天皇と公家の仕事は【天子御芸能 第一御学問】と定められた。これにより祈祷と学問と武士に官位を授けるのが仕事となった。
ちなみに征夷大将軍という最高の官位は世襲ではなく、個々に与えるもの、誰にどの官位を与えるのかは幕府が決定し、その内容に従って天皇が任命する流れで、幕府は天皇の権威を利用しているだけというものだった。

その情報の流れは<将軍→老中→京都所司代(幕府の京都出張所)→禁裏付(幕府側の窓口)→武家伝奏(朝廷側の窓口で人選は幕府が定める)→関白→天皇>これに1665年に<義定>(関白の補佐役)が加わる。
この関白は五摂家からしか選ばれず、近衛・一条・鷹司・九条・二条。この五摂家の下にその他の公家が属しておりいわゆる主従関係となっている。

幕府は後醍醐天皇VS鎌倉幕府の結果、建武の新政となったように天皇に権力が集まるのを恐れて1742年にはさらに天皇の権力を制限。
天皇の行うことが誤りであれば関白は天皇を押さえ込みなさいという令を出す。これで関白の権限は大きくなってゆく。
結果的には天皇の地位は形骸化し、たとえば将軍の宣下の場合は江戸にいる将軍が京都へ行くのではなく
勅使が江戸城へゆき、上座に座った将軍に下座に座った勅使が任命する形式だったらしい。
天皇の領地は江戸初期は1万石、幕末は3万石。公家全体では10万石。
決して貧しいとは言えない。
戦国時代の天皇、公家生活は大変だったようだが徳川が今の石高を保証、整備してくれたという恩があるためか文句が言えない状況。

さて孝明というお名前は崩御されてからのおくり名で実際は統仁(おさひと)さま。
天保2年1831年生まれ。ちなみに松陰さんは天保元年生まれ。
14歳で元服され、お歯黒を入れられた。また数年後は眉払いの儀式により眉を剃られたのでだいぶイメージが違う。
鎖国攘夷思想で公武合体も反対。江戸時代の枠組みを変えたくなかったので王政復古の推進も違うようで
政治は幕府が行うことを良しとしていた。
この背景で即位の1年前から色々と情勢が変わってゆく。
天保15年のオランダ国王よりアヘン戦争による清のようにならないためにも開国を勧める国書が届く。これは幕府が握りつぶしたが実際は公家より天皇の耳に入る。
そして翌年以降各国が続々とやってくるタイミングで即位される。

弘化3年に突然幕府に勅がでる。これは江戸時代始まって以来の出来事。
【異国船渡来の状京師に聞ゆ因て海防の勅を幕府に降す】いわゆる海防勅書。これは徳川斉昭の仕業!
斉昭のお姉さんは鷹司政通(まさみち)の嫁。
これに対し幕府は【今後外国船の問題は文化4年におこったロシアとの紛争の例に従って報告する】こととなった。
これにより幕府は、天皇に対し外国船が来たら祈祷を行っていただくということを決定。
この対象は七社七寺で伊勢神宮・石清水八幡・賀茂神社・松尾社・平野神社・稲荷神社・春日大社と仁和寺、東大寺、興福寺、三井寺、東寺、広隆寺。これは後にどんどんと増えてゆく。

そしてペリーの来航の際には幕府より祈祷の指示がでている。幕府はこの来航により各大名に案をださせたり
台場を建造しているが天皇には報告していない。このタイミングで家定が将軍になることに。
武家伝奏の三条実万(実美の父:さねむつ)に『人心を動揺させないように』という伝言を持たせて江戸城へ向かわせる。老中の安倍正弘に伝えたところ「国書は穏便に扱うので天皇の案があったら言ってください」またアメリカへの返事は「のらりくらりとはぐらかして乗り切りたい」との意思を出す。

公家の実力者である鷹司は開国論者。貿易もOK。そこで朝廷側を1本化するために武家伝奏、関白、議定で
打ち合わせをしたが天皇には話していない。
ついに幕府は条約を締結・・・この時も孝明天皇は祈祷されている。

もし京都に異人が攻めて来たら・・・・幕府に対し「幕府関連の彦根藩や尾張藩に京都を警備してもらいたい」との願いを出す・・そしてこの後不幸にも御所が全焼するという事件が起こる。そして穏やかだった時代の平安時代風に建て直した。
そして安政元年にロシアのプチャーチンが大阪湾天保山に出現!孝明天皇はおびえながらも祈祷に励む。

安政3年ハリスが江戸に乗り込み、通称条約が締結。
このタイミングで関白は鷹司から九条尚忠へ。開国派鷹司は70歳!九条尚忠は天皇のよきパートナー。
世界では第二次アヘン戦争が起こり天津条約が締結。フランス、イギリスがアジアを押さえ込む。

この状況の中で安政4年年末には大名を大集合!状況の説明会を開催!結果なんとなくぎくしゃくした空気だけが残ってしまった。この裏では武家伝奏に自称説明はしていたらしい。
このぎくしゃく感をなんとかするためのアイデアとして天皇の権威を利用することをおもいついた幕府は天皇に
勅許をもらうことにし、その役目は堀田 正睦(まさよし)が行い、すぐさま京都へ向かう。
家臣の心をまとめるために天皇の心を聞きたいとの口実で、幕府と天皇の関係であればこの役目は楽勝!とおもっていたが大間違い!
翌年1/17には御宸翰で「みんなで話し合いなさい、開国&貿易はだめ!先祖に申し訳ない」の意のお返事が返ってくる。
楽勝のはずが・・・堀田は伝奏、議定を宿とした本能寺に呼びつけ説得しついに説き伏せた。
しかし天皇からの勅はでずに「みんなで話し合いなさい」とのこと。

そこで堀田は作戦を変更し、天皇のお仲良しの九条尚忠を抱き込むことに。あっさりと寝返り、天皇の意思ではない勅答案が練られてゆく。そして3/14に堀田に開国の勅答案を提出することに決まったが・・・なんとこの二日前の3/12に88人の公家が九条の家に押しかけ罵声を浴びせ大反対のデモンストレーションを行う!
九条はびびってしまい案はつぶれてしまった。
これは実は孝明天皇が下級公家の岩倉具視に指示をしていたらしい。
大きな流れの開国へ向かう流れを孤立してしまった孝明天皇は下級公家をまとめあげてひっくり返した。
残念堀田は九条へ手紙を送った・・世間では戯れ歌が流行ったそう。※聞き漏らしました・・・・。

このタイミングで将軍の継承問題がおこり安政の大獄へとながれてゆく。。。

この幕末の流れは色んな流れが複雑に絡み合っているが意外と朝廷内の流れは知られていなくでびっくりでした。

一坂太郎先生!今日もありがとうございました。

2012 9/9 第26回  あみだ池寄席

ひさしぶりのあみだ池寄席です。
実は前回に行ってから露の一門の寄席ということで興味があったのですが
開催情報がまったくわかんなくて・・・。ということで今年の彦八祭で露の吉次さんよりチラシをいただけたので今日久しぶりに行かせていただけた訳です。

露の吉次 禁酒関所
桂 文昇 天王寺詣り
露の吉次 君よモーツァルトを聴け
露の慎悟 三丁目のおもちゃ屋

はじめて桂文昇さん、露の慎悟さんの落語を楽しませていただきました、しかも初めてのネタなので
防忘のために簡単にお話を記述。

君よモーツァルトを聴け  
三枝さんの創作。流れは古典の青菜とおなじ。途中でアイネクライネナハトムジークが流れてびっくり!

三丁目のおもちゃ屋
昭和の高度成長期を背景に寂れた商店街のおもちゃ屋さんが舞台。
日曜日のたびに店の前に現れた少年の身の上とお彼の将来の夢は。。。

次回、第27回あみだ池寄席は11月25日。桂阿か枝さん、橘花家千橘さん。
まぢ・・いきたいけど・・・・すでに予定がぁぁ。。