フランス風懐石料理中華風: 2011-04

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2011 4/30 姫路城

姫路城へ行って参りました。ご存知のとおり姫路城は世界遺産として登録されており現在は平成21年から5年をかけての大修理中。その修理の様子を見学するこができる「天空の白鷺」へ応募しましたが、残念ながら時間がかかりすぎで断念。駐車場はいろんなところに有り、しかもそんなに高くない。大阪城も見習うべきです。



天守を小1時間かけて見学。階段の幅が微妙に違う上に急勾配で、しかも低い天井。ボランティアの方、曰く「日頃使わない筋肉を酷使しましたので明日は筋肉痛になります」。あはは♪そんなんなるはずか無いやんと、たかをくくっていましたが見事・・筋肉痛です(-_-、)
このあたりの播州をテーマにした上方落語

といえば・・なんでしょう。
「花筏」では、堤燈屋の徳さんが興行に出かける先が高砂神社。「皿屋敷」では、幽霊のお菊さんが出てきたといわれるお菊井戸が姫路城内にありました。またマニアックなところでは「焼き塩」が赤穂の産地。あまりにも珍しいので購入いたしました。
商家に奉公に来ている女中さんに実家の姉より手紙が届くが残念なことに文字が読めない。
日頃、変わりに手紙を読んでもらっている二番番頭さんも留守。どうやら急ぎの内容の手紙らしく、思い切って通りすがりの若いお武家さんに読んでもらうことにした。

一通り目を通した武家は「残念じゃ・・・手遅れじゃ・・」と嘆き悲しみ始め、その様子からなにか不幸があったと察した女中も涙ぐむ。

そこへ通りかかった焼き塩売りのおやっさん。その様子を見て「あぁ・・あの2人は叶わぬ恋をし・・心中するのかも・・おそらくあの女子のお腹には赤ちゃんが・・・」と勘違いして涙ぐむ。
手紙を見ながら涙ぐむ若いお武家と女中。少し離れたところからその様子を見て涙ぐむ焼き塩売り。そのけったいな様子を見ていた町の人は・・・・・・・。
米朝さん曰く、「おもろない話にはおもろないだけの理由っちゅうのがあるんですな」。
おもいっきり納得。

2011 4/24 てんのじ村

つい1週間ほど前、偶然に放映されたNHK大阪のアーカイブスの特集「てんのじ村」を見ました。
内容は昭和36年放映の映像。道幅1間半程度の長屋町のてんのじ村が舞台。夜になると砂川捨丸さん宅に集まり交流する芸人や芸人斡旋業の方々のドキュメント番組。また地方巡業や当時大阪に多数あった演芸場でのシーンで構成。驚いたのは、当時ギターとアルトサックスを演奏しながら歌謡漫才を目指す20歳と16歳の若手漫才師のヒデ若、ヒデオ。これがいまのWヤングの2人。


そして先日4月24日に動楽亭で開催された「旭堂南左衛門一門会」。日頃、車で移動すると絶対に撮影できない阪神高速天王寺の入り口のすぐ左にある「てんのじ村」の記念碑。撮影してきました。
阿倍野再開発で肩身が狭くなってゆく、昔懐かしい昭和の匂い。アポロの裏に通っていたあべの銀座。数奇な歴史に包まれた飛田等は今回4月20日にプレオープンしたキューズモールに息の根を止められ、そして、そんな町があったことを覆い隠し歴史に蓋をするかもしれません。そんな大阪は悲しい町だとおもいませんか。

たしか若かりし頃に、難波利三さんの「てんのじ村」を読んだ記憶があります。ひさしぶりに読み返してみたい。

碑文

仏法最初, 荒陵山四天王寺に由来する天王寺村は, また文化芸能淵叢(※えんそう)の地でもあった。往昔, 北は生国魂(※生魂さん。)より南は天神森紹鴎社(※大阪市西成区岸里東の天満宮)に及ぶ広大な地域を占めていたといわれる。現在の通称「てんのじ村」は, まさにその中心の地に当たる。昭和二十年の戦災に奇しくも大被害を免れて芸能人の大半はこの地に結集, 爾後, 上方庶民の文化, 演芸の再建, 飛躍の拠点となった。今回, 都市計画による地区改変に際し, 縁故芸能人, 地元有志ほか江湖の賛助を得てここに記念の碑を建立し事蹟を顕彰するとともに向後のより大なる発展を庶幾せんとするものである。
昭和五十二年十一月八日 吉田留三郎 識(※吉田留三郎さんは、1906年生れ1978年没の上方芸能評論家で織田作之助さんや秋田実さんらとおもに上方芸能の発展に寄与された方。)




2011 4/24 動楽亭 講談会

2011年4月24日(日) 旭堂南左衛門 一門会
開演14:00 会場13:30
場所 動楽亭
旭堂南左衛門 :宮本武蔵 有本隆 作
旭堂南左衛門 :水戸黄門漫遊紀 長屋の出世
旭堂南舟 :電雷の初相撲
旭堂南斗 :有馬御難
<釈芝居> :太閤の風流
南舟・南斗・さくら・一林・一扇
後援:上方講談協会 前売り・お問合せ 06-6445-8480



実は初めての動楽亭。とっても便利な場所であまりの近さにびっくり。座敷ではなく座椅子があって尚感激。

旭堂南舟・旭堂南斗・黄昏亭さくら・白夜亭一林・白夜亭一扇:釈芝居 
落語ではたまーに見かけることがある演劇仕立の講談。講談をわかりやすく解説するのにとっても良いアイデアですね。これならよりわかりやすく講談を楽しんでいただけます。
あとは語句をかみ砕いてあればもっとよかったかなーって感じました。
ちょうど、太閤の風流は先日聞いたばかりだったので理解度は1000%でしたがはじめての方々は、「奥山の…なく」が百人一首、猿丸太夫の歌であり、鹿を蛍とした点や、「しかとも…灯」や「武蔵野…なし」の意味やおもしろさをわかってもらえるよーな仕掛けがあればもっと楽しめるでしょう。だいたい杣(そま)って単語も使われないし…。
でもわずかに現代訳のエッセンスがあるだけでうんとわかりやすく成るもんだと感心しました。

それにしても白夜亭一扇さんの初舞台♪風格が感じられてお上手でした(^-^)
白夜亭一林さんも笑い所を押さえてられたし…むっちゃ練習されたんだろーな。なんだかうらやましい気持ちも(笑)


旭堂南斗:有馬御難

釈芝居が終わりすぐさまに南斗さんの出番。
いたく役者をされたのがお気にいられたよう。全てを一人で完結させる講談とはちがい、台詞に間が必要なお芝居には違った魅力があるのは必須。ぜひ機会あればいろんな事にチャレンジしてくださいませ。

さて、ネタのほうは、秀吉亡き後の豊臣体制を守るために家康を葬り去る計画をたてる石田三成。絶対の信用を得ている有馬兵部卿法印則頼の息子、有馬玄蕃頭豊氏を使い毒殺を企む。さて・・家康は・・。

旭堂南舟:雷電の初相撲
今日の南舟さんの講談を聞いていて感心したことがあります。
雷電と谷之下(字が違うかも・・)の会話シーンや親方との会話、行事、そして相撲相手の八角…、それぞれ目線の向きや高さが違うんですねー。
だからそこに空間があるのでスッとお話の世界に行けるのでしょうか。
落語も講談も、演者を通してその話の世界へ行くことができる芸…だから視線や声使い、所作って大事な要素なんですね。
マクラはいつもの南舟さん調。お人柄が滲み出ています。


ネタの方は体格のに恵まれて生まれた雷電が相撲取りになるために弟子入りし、そして初土俵でとんでもない事が起る・・生涯成績は254勝10敗。初土俵のアクシデントで彼は自ら横綱になることはなかった。

※実在の人物のようで長野県東御市の中央公園には雷電爲右エ門像があるそうです。


旭堂南左衛門:長屋の出世

徳川家康の11男。徳川頼房、彼は幼少時代を鶴千代。幼い頃に家康に「なにが欲しい?」と訪ねると「将軍!」と答えたそう。
そのため京都の公家宅に預けられのんびりと育てられた。

さて舞台は大阪 長町、今の日本橋。
貧乏長屋に住む叔父を訪ねてきた女性。彼女は実はある高貴な方の子供を身篭っており出産したものの産後まもなく亡くなってしまう。数年の月日が経ち、長雨でもうお金が無くなり米にも不自由している日が続く。やむ終えず亡くなった彼女の唯一の手荷物を開けてみることに。そこには何と。。。そして彼の父は・・。というネタバレな書き方になりました。


旭堂南左衛門:宮本武蔵

宮本武蔵は著名だけど、その生誕地が不明、それだけではなく現在生誕地として謂れのある地は現在3ヶ所。思い浮かぶのは岡山県美作。そして、揖保郡太子町と高砂市米田(泊神社社殿寄進の際の棟札が出てきたらしい)。いずれも観光の柱となっているそう。

今回の講談を聞く、ほんの1ヶ月位前に放映された「歴史ヒストリア」のテーマ「五輪書」をたまたま見ていてよかった。夢想 権之助との試合のお話が主題、武蔵と試合を行ったことがきっかけとなって現代にまで受け継がれている神道夢想流杖術が生まれる事となる。
青年コミックでも人気のある「バガボンド」。真田人気に繋がる時代ヒーローまちがいなし!

さて今度6月12日に姫路にて宮本武蔵に関する講談会が開催されるらしい。参加したいが残念・・羽曳野で落語会の先約がありました(-_-、)

2011 4/21 第1回 旭堂 南舟講談会 IN 柳谷観音・泰聖寺

第1回 旭堂 南舟講談会 IN 柳谷観音・泰聖寺
4月21日 19:00開演 (18:30開場)木戸銭¥1,000

ちょうどこの日は朝から名古屋へ出かけていて5時に名古屋を脱出!講談会に間に合うか?ってギリの予定で動いておりましてwwなんとか無事間に合い、一安心。






旭堂南舟 「ごあいさつ」

人柄が滲み出ている南舟さん。口下手な事って欠点じゃないと思う。白壁に何百回も向かって練習するよりも、一度の高座のほうが勉強になるのはまさにその通りだし、数を重ねることで間違いなく磨かれていきます。偉そうに書いちゃいますがマイペースで・・そして継続させてください。

まぁ・・いろんな特技があるもので、前回に九度山へご一緒した際、(※この話はあらためて記載します)高校野球について造詣が深いことを知り、、私が先日知り合いました某高校野球の出場経験のある方のお話をしましたら見事ご存知だったのは感服。そして今回はAKB48かぁぁぁ!!
前回の選挙の1位から21位をフルネームで言うってすごいしww
ちなみに【ひるおび】月曜・火曜のお天気コーナーに出ている柏木 由紀さんが大好きらしい。。


旭堂南舟 「太閤の風流」

南左衛門さんへ入門され初めの方に習われたネタ。
太閤秀吉が関白の位を授かり、公家達の前で歌を披露する話し。
風流人ではない秀吉が苦し紛れに読んだ歌・・
「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く・・・」
元は百人一首 猿丸大夫の<奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きくときぞ 秋は悲しき>がベース。
「鳴く・・・」のあと、つい鹿では無く、蛍としてしまった。
「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く蛍」さぁ・・下の句をなんとするか・・・。

蛍は鳴くという例に下記の古歌が・・。

「武蔵野の篠(しの)を束(つか)ねて降る雨に蛍よりほか鳴く虫もなし」
もちろん、蛍は鳴かない・・。
雨が降る広大な原。。普段なら虫の声も聞こえるはずだけどこの雨で、蛍の光がかすかに見えるくらいの夜だ。という歌があるらしい。

そこで、つけられた下の句が「しかとも見えぬ杣かともし火」
※杣は元々や管理された森林のことだけど広義できこりなどを指している。
このお話は落語にもなっています。


旭堂 南斗 「将棋大名」
三重のワークショップに行かれた際のお話。
自分の半生を1分の講談でお話するのはそりゃ難しいでしょう。
大概の人は大勢を前にすると言葉がでなくなるだろうし、ネタが飛んでしまうこともあるだろうし。
いかにして流れを断ち切らないか・・が大事なんでしょうねー。
さて、この将棋大名も落語ネタになっているようす。
その場合は登場人物がぼやかされていますが講談では池田重正?末成ゆうえもん?と明確に書かれています。
話しの方は、将棋を覚えた大名。家臣相手に我が侭言い放題の将棋をするお話。挙句の果ては、買ったほうが負けた方の頭を鉄扇でポカリ!家臣はたまったもんじゃないww

旭堂南舟「聟引出」(むこひきで)
初めて聞くお話。
小牧長久手の戦いで徳川家康の家臣が敵の武将の首を取った事が由縁となり、実はその首をとられた息子が秀吉の家臣となっている。常々、<徳川切り>と銘々された刀を常備しチャンスを狙っているそんな時に秀吉の所に家康が訪ねてくることに。
秀吉は鉢合わせをさせないようにするが、そんな2人が出会ってしまうい意外なほうに話が進む。

無事、第1回の会が終わったあとは出演者のお2人と観客5人、そしてご住職さんを交えてお茶を頂戴する、なんとも和やかな雰囲気の中で閉場となりました。
お客様の中に南舟さんの前職の上司さんがお見えになられており意外なお仕事をされていたのでびっくり♪
みんなの願いは同じ。講談をもっともっと色んな方々に知ってもらいたい。参加者は少なかったけどみんなの気持ちがピッタリと重なり合ったそんな講談会になりました。
また今回、旭堂南舟さんは、黒紋付羽織の完璧和装もちろん正絹。しかも羽織の裏には咸臨丸が勇ましく荒波を掻き分けて進む勇姿が描かれておりましたので記念撮影させていただきました。






次回は6月21日 旭堂 南舟講談会です。
お問合せ  090-6600-0614(南舟事務所) 06-6779-9196(泰聖寺)

2011 4/17 第60回 めふ乃寄席 第60回記念スペシャル

2011 4/17 第60回 めふ乃寄席 第60回記念スペシャル

最近、講談にはまっている私にとっての久しぶりの寄席でした。

笑福亭生寿:狸の鯉

すっごいにこやかな笑顔で小走りで高座へ。
マクラはご実家のコンビニに帰られた際に知った、まぬけなコンビニ強盗のお話でした。
さて、初めて聞いた今回のお話は、助けられた狸が夜に訪ねてくるというお話。翌朝を迎えるとこどもの姿に。なんにでも化けられる事を知ると出産の祝いにと、鯉に化けた狸を手桶に入れてもってゆく。オチは、鯉に化けた狸が逃げ出してしまい庭にある柿の木に上って・・・。


桂阿か枝:指仙人

なんともめずらしいお話。江戸前のお話のようでいくつかパターンがあるようです。今回のお話は下記のとおり。
幇間の繁八がばったりと田中屋を勘当された元若旦那の吉ぼんと出会う。吉ぼんは身を持ち崩してしまいおこもさんの姿になっている。原因は通い詰めた御茶屋の芸妓”お菊”を身請けの寸前に他の旦那に先を越されてしまったことにある。今の世を捨て・・今の世に捨てられ仙人になる為に木曾の山奥に出かけ・・そこで会ったのは・・・なんと・・・。オチは「あんたはいまだに疑い深い」。熊野牛王符の裏に起請文誓紙を取り交わし指を切り判を押すことが男女の仲を誓い合うそんな風習があったのですねー。


林家染左「茶の湯」

元大旦那の隠居と定吉が店子3件の家賃収入で質素に暮らしている、そんなシーンが舞台。
趣味や道楽の無いご隠居さんは「茶の湯」をすることに。
まぁ出来上がったお茶はとんでもないもの。朝昼晩と2人きりで茶の湯をするのも飽きてきてついに
自分の店子3人を茶の湯に招くことに。大工の棟梁・豆腐屋さん・手習いの先生の3人は
恥をかくのを恐れて引越ししようかどうかの思案中。結局隠居より「流儀は?」なんて聞かれたら出て行ってやる!と息巻く。一方隠居のほうは「流儀は?」なんて聞かれたら店立てくわせてやる!と利害が一致しているww
お手製の茶菓子が加わってとんでもないお茶会が開催された。。。。



60回記念特別プログラム 「落語家の余芸 ~鹿芝居そのほか~」
中川桂(芸能史研究者・二松学舎大学専任講師)

講師は林家染左さんの実兄とのこと。
さて、落語家の余芸には個人芸や高座芸と大喜利のような団体芸がある。
何度も寄席にいくとたまに、ユニークな踊り等を目にする事があるがなかなか目先が変わって楽しいものです。
明治10年の資料では
三遊亭円遊(嘉永3年-明治40年)のステテコ踊り(ステテコの圓遊)・橘屋円太郎(弘化2年-明治31年)はラッパの円太郎、初代三遊亭萬橘のヘラヘラ踊り(へらへらへったらへらへらへ♪)(へらへらの萬橘)・立川だんしの踊り(テケレッツのパー)(釜堀りの談志)が珍芸四天王と言われた。

~参照 Wiki~
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E8%AB%87%E5%BF%97_(4%E4%BB%A3%E7%9B%AE)


芸風は「郭巨(かくきょ)の釜掘り」というギャグを考案し人気を博す、落語を一席やった後羽織を後ろ前に来て、手拭いを4つにたたんで後ろ捻り鉢巻を、扇子を半開きにして衿元へはさみ、座布団を脇に抱え『そろそろ始まる郭巨の釜掘り、テケレッツのパッ!。』と言い『アジャラカモクレン、キンチャン(客)、テケレッツのパッ!。カマール(集まる)セキテイ(席亭)喜ぶ。テケレッツのパッ!……』などと言い高座を歩き回る。今度は座布団をそばに置き、扇子を鍬に見立てて土を掘る仕草をし『この子あっては孝行はできない、テケレッツのパッ!。天から金釜郭巨にあたえるテケレッツのパッ!。皆さん孝行しなさいよテケレッツのパッ!。……』と言うこれらを単純に繰り返す芸で二十四孝の孝子の一人の文句を参考にした。

これらの珍芸がもてはやされる背景には経済の充足により東京に人口が増加、従来の粋な芸とは違う高座芸がもてはやされたため。
尚、千秋楽→千穐楽という当て字を用いるのは劇場にとって火が出ることを忌み嫌う為。また大切りは大喜利と字を当てていて、プログラムに最後にする落語以外のものを表す。

林家竹丸:饅頭怖い
マクラの間中にずっと会場を見渡すような仕草、きっと今日のトリの演目を決めておらず客層をみておられたのかなーって感じました。
話の方は「おやっさんの怖い話し」が登場しないバージョンでちょっち残念。
東日本大震災の募金活動をした方には、それぞれのサイン入りの栞をプレゼント♪
すっごいいいアイデアですねー。

2011 4/16 教科書に書かれない幕末史 大阪遷都計画

①4/16 大阪遷都計画 
②5/14 日本の形
③6/18 脱落する人たち
教科書に書かれない幕末史も丸2年を迎え明治に突入。今回のテーマである【大阪遷都計画】。
実はこのテーマは、ちょうどシーズンの大阪造幣局桜の通り抜けを実施した遠藤謹助氏に関係のあるテーマとのことで選定されたそう。
この講座のあとに造幣局へ移動し現地で勉強会の予定だそうだが、当方は残念ながら体調を崩していまして残念ながら不参加。
一坂先生から「え~!不意打ちを食らったみたいだ・・」とお言葉を頂きました。次回はおもいっきり参加しますのでご勘弁ください^^

慶応4年1月15日 明治天皇の元服とともに諸外国に対し王政復古を伝えた新政府は1/17に従来の三職(総裁・議定・参与)に、あと行政七科(神祇・内国・外国・海陸軍・会計・刑法・制度)を付け加え内政の充実を図ろうとする。長い間政治の枠組みからはずされていた在京の公家たちは、あたかも公家政権が戻ったかのように大喜びだった。

さて、この七科のうちのひとつの外国事務参与のポジションの大久保利通さんは、公家政権なんてそんな意味で倒幕を果たしたのでは無いと新しい日本の在り方を模索。そして、明治天皇の行幸を計画。まず男山八幡への参拝のあと、大阪の安在所へ行っていただく。

1/23 御所内にて太政官(新政府の心臓部)会議が開催。
このとき大阪遷都論を打ち出した。その意図としては・天皇を名実共に君主として世間に知らしめる・政治の発信地としての大阪にする・薩長中心政権の矛先をかわす・公家の為の天皇ではなく国民のための天皇とする・・・。
忘れてはならないのは、この時点ではまだ東北でのゴタゴタはかいけつしておらず、輪王寺宮を担ぎ東の政権を樹立させらてる恐れがあり、猶予はない。

2/3 天皇は二条城へ移動され親征の令を発布。
2/15 堺事件
3/14 五箇条の御誓文
3/23 御親征の名目で大阪へこられ、北御堂へ44日間滞在。
3/26 天保山で観艦式。※はじめて海を見られた・・。

着々と大阪遷都の道を進み始めていたが・・・ところが・・・。

前島密の遷都反対論。
大阪には大きな船入ることが出来ない。またせっかくの東京が寂れてしまうともっともなご意見。そしてついに7/17 江戸から東京へ名称が変更され、9/20には東京行幸の詔が出される。

この流れがあるので3月→9月までは大阪が首都になる可能性があったということになる。 
そんなゴタゴタの中で建設されたのが大阪桜ノ宮にある造幣局。(当時は造幣寮)


3/16には江戸の金座、銀座が接収。
4/11には江戸城の無血開城、貯蔵してあった資金は国財として没収。
そして、明治3年8月に大阪に造幣寮が建設された。

9/20には3300人の大所帯で東京を行幸。
10/13には天皇が東京入り。江戸城→東京城へ移動。
12月には一旦、京都て戻られている。

そして翌年3月(明治2年)・・・2回目の行幸が行われ、天皇は京都には戻ってこられませんでした。
また10月には皇后様も東京にいかれてしまいました。
許せないのは在京の方々。デモを行い首都の移転を反対する動きが激化。なんとか押さえ込もうと三条実美さんは2枚舌。
天皇はあくまでも行幸であり、ちゃんと帰ってこられますから・・・。大丈夫だから・・。の通達を出したまま、天皇は京都に帰ってこられることはありませんでした。
しかも面白いのは、いまだに日本の首都は京都。なぜなら、東京を首都にするという詔は出されていない。

その後京都の人口は35万人から7万人へと激減。
明治3年には産業基立金として10万両が下され、内3万2千両は西陣織り・・・1万8千両は桑やお茶の産業振興として使われたそう。 

さて、今日のもうひとつのテーマの造幣局。

遠藤謹助氏は映画【長州ふぁいぶ】の中の1人。ちなみに残り4人は【井上馨(鉄道の父)、山尾庸三(工業の父)、伊藤博文(政治家)、井上勝(政治家)】。
慶応2年にイギリスより帰国。その後神戸神戸運上所にて勤務。大蔵省へ入り明治3年(1870年)に造幣局に勤務。
当時は日本人だけでは鋳造はできず、オリエンタルバンクとの契約で海外より技術者が居り、その中のトーマス・ウィリアム・キンドルとの衝突によりいったん造幣局を去る。
明治7年8月には大隈重信への貨幣鋳造に対する意見書を提出したことがきっかけで、明治8年(1875年)1月には東洋銀行と契約が解消。
明治14年11月には遠藤が局長として復帰。
明治16年(1883年)より、桜の通り抜けが開始されている。
そして明治22年1月、最後の外国人のマクラガン氏が解雇され以降は日本人だけの鋳造となった。

造幣局建設の際は色々な汚職事件があったらしいが大隈重信さんらの手で一掃。国としての建設事業としてイギリスのウォートルス氏を雇い、洋式の耐火建築で建設をおこなうが連歌が無い・・・そこで作らせたのが、堺。大浜公園にはその跡地が残っている。

話は前後するが、遠藤謹助氏が神戸の運上所所長として勤務しているときに、神戸病院建設(今の神戸大学付属病院)の募金活動を行っている。
なんとその出資者の目録には〔伊藤俊介〕の名前が。しかも金額は100両!その目録のその箇所には付箋がはられていて〔未納〕と書かれているらしい。

2011 4/13 お・ち・たww

写真撮影でお邪魔しました会社で階段を踏みはずしてずっこけました(;´Д`)
あと階段の段差が2段あったのですがどうやら、踏み出したトコには階段が無かったようでww
だんだんと痛ーくなってきたので大慌てでかかりつけの整形外科へww←前回、追突された時にお世話になった病院です。
レントゲン、エコー検査をしていただき骨折はしていないけど【左肩腱板損傷】【左肘、左手首打撲】って診断でした。
さすが今朝は左肩が上がらない状態(-_-、)。
1週間は湿布生活&夜は鎮静効果のある薬をヌリヌリ・・・な生活になります。

2011 4/8 東京出張


亀戸から北へ小村井へ向かいました。
途中、浅草通りを渡りすぐの福神橋を渡る時になんとなく左をみたら。
「あれ?なんやったっけ?」←くらいの認識しかないww
どうやらあれがスカイツリーらしい。とりあえずパチリ!





 
途中、亀戸香取神社さんへ参拝。
そういえば思い出すのが、
香取信吾クンがNHKの大河「新撰組」のワンシーン。

剣道場で激しく戦いあう時に、「香取大明神」の額が飾られていました。当時はこれはぜったいシャレやな!とおもっていたけど本当に「香取大明神」は居られたのですね。
天慶の昔、平将門が乱を起した時、追討使俵藤太秀郷はこの香取神社に参拝し戦勝を祈願。
乱はめでたく平定することができ、神恩感謝の奉賓として弓矢を奉納、勝矢と命名された。このことから現代ではスポーツの神様としておられるそう。
 
俵藤太秀郷は滋賀県の三上山の大ムカデ退治の民話が有名。
落語の世界ではこう。
 
「その昔、俵藤太秀郷は、大きなムカデ退治をしたんやで」
「そんなん、わぃでもするって」
「いやいや・・ムカデは、あの三上山を七巻半もするようなムカデで・・」
「えらい、おっきぃムカデやなー」
「まぁ七巻半言うても、鉢巻きよりちょっと短いくらいや」

2011 4/7 かつめし



加古川名物のかつめしをようやく戴きました。
前回、購入したかつめしのタレの感じとはだいぶ違っていました。
 
頂いたお店は【かつめしいろはーず】
 
美味しくいただきました^^



~引用~ 加古川商店街のあるモニュメントの文面~
戦後間もない頃にこの加古川商店街にあった「いろは食堂」で考案されました。
洋皿に白飯を盛り、牛カツをのせ、独特のタレをかけお箸でいただくスタイルは気軽に食べられる洋食として親しまれました。


←「かっつん」「デミーちゃん」

2011 4/2 九度山 町家の人形めぐり

第3回 町家の人形めぐりが開催されました。
◆開催期間4/1-5/5 ◆九度山駅下車

このイベントは、住民同士だけでなく町外から見学におこしの皆様との、和やかなご縁の輪を広げる機会「まちを出会いの舞台に」しよう、多くの皆さんが集まって会話をすることで和やかさと明るさを持ち続けようという思いで取り組んでおられます。

そしてこのご縁を頂戴しました主催者の方と真田庵で待ち合わせさせていただくことに。ちょうど真田庵にて東日本大震災の法要を営まれるとのことで、私たちも参加させていただきました。
まるでその空間だけ、時間がスッと止まっているかのようなそんな心に染み込んでくる風景にいっぱい癒されてまいりました。

次回、九度山訪問は5月5日を予定しています。今の世情を鑑み真田祭のパレード等のイベントは無くなったそうですが真田3代の法要は実施されるとのこと。


実は今回の九度山訪問の目的は、9月に開催されるイベントの打ち合わせ。元々は真田親子が蟄居させられた九度山で、真田親子が大活躍する「難波戦記」を聞きたい・・そんな我侭のような私の願いが実現しそうなのです。これが機会となってご縁が広がって行くことを心から願っています。