フランス風懐石料理中華風: 2011-01

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2011 1/30 第58回 めふ乃寄席 ~昼席~

今年第1回目のめふ乃寄席。
はじめてこの会に参加させていただいてからちょうど丸年が経過しました。





毎年この1月のめふ乃寄席ではご出演者さんみなさんで、お客様が入場される際、
錣太鼓を演奏していただけます。すっごい風情があっていい感じです。

桂小鯛:強情灸

前の桂 とま都さん。昨年の8月に襲名され小鯛となる。2007年のご入門なので5年目の噺家さん。
たしか2009年の秋に田辺寄席でご出演された際は「つる」。その時の感想もまさに下記のとおり。
所作も口調もはきはきとした好感度の高い方^^
つるのようなご年配の方がでるお話よりも、威勢の良い兄ちゃん風の方のでる話しの方が
ご本人の印象から感情移入しやすいのかもしれませんねー。

林家染左:うんつく酒

ご本人からも、滅多に聴けない話をするとの事。古典ファンな私はむしろ嬉しい。。
このうんつく酒も初めて聴いたお話。

たしかに三井財閥の先祖は伊勢の商人。
今日の話しでは松坂に呉服屋を開いたが実際は酒屋と質屋らしい。
話しでは田舎の造り酒屋が舞台なのでひっかけてあるのかも知れないです。

Wikiに記述があってびっくり!
~以下転載(Wiki)~
『うんつく酒』(うんつくざけ)は上方落語の演目の一つ。
原話は、安永5年(1776年)に出版された笑話本・「鳥の町」の一遍である『金物見世』。道中噺『伊勢参宮神乃賑』の一編。主な演者として、橘ノ円都、6代目笑福亭松鶴等がいる。

由緒ある話しなんですねー。これって「うんつく」=「どアホ、間抜け」が結びついていたらもっと面白いのかな?


林家竹丸:ハンカチ

たしか昨年テレビで聞いたぞ?と思い出して調べてみたらやっぱりそうでした。
http://www.sponichi.co.jp/osaka/ente/200912/19/ente226378.html

下記引用)
上方落語協会が公募していた「第2回上方落語台本大賞」の入選作が18日、大阪市内で発表され、お笑いコンビ「2丁拳銃」の小堀裕之(35)が優秀賞(賞金10万円)を受賞した。
 作品のタイトルは「ハンカチ」で、夫婦愛を描いた人情噺(ばなし)。小堀は所属の吉本興業を通じ「栄えある賞をいただき、ありがとうございます。ただただ落語が好きで、まだまだ勉強中ですが、今後も落語をつくることに精進していきます」と喜びを語った。

冒頭の会話の所等なんとなく違和感があるけどついだれもが自分に置き換えてしまえるようなお話。
たくさんの方が演じられるときっとこなれてきてもっと磨かれたお話になるんでしょうね。


桂阿か枝:宿屋敵

わたしの大好きなネタでメジャーなところではNHKの「ちりとてちん」のスピンオフドラマとしても使用されました。
って情報が小さいww
今回の宿屋敵も、大坂日本橋が宿屋町で賑やかな若者三人がちゃんと脳裏に再生できました。
とくに井八が三人を逃げ出さないように縛り上げ、それでいて睡眠不足で朝まで見張っていたその様子が感じ取れました。

さてこの宿屋敵には何度もでてくるフレーズがありいっつも口から出てしまいます。

巡礼が御詠歌をよむやら、六部が念仏を・・・駆け落ち者がいちゃいちゃ・・相撲取りが歯軋り・・・。

せっかくなので落語の中にもよく登場してくる<六十六部>ですが今日も2回出てきたので自分の防忘のために記載します。
 うんつく酒;六十六部に・・
 宿屋敵:六部が念仏を唱えるやら・・

昨年秋の第47回四天王寺秋季大学の1日目に北川央さん(大阪城天守閣研究副主幹)が話された講演の中でなかで話されていたのを思い出しました。

http://sweet-mikan.blogspot.com/2010/10/2010102-471.html

引用)
巡礼はアマチュアであるが中にはプロフェッショナルな巡礼が存在する。様々な事情で巡る事ができない人々の替わりに三十三度行者は笈を背負って巡礼を行う。
中には三十三箇所を1年に3回×11年続けることでその供養等が四天王寺にも見られこれを三十三度行という。河南町の仏眼寺からこの笈が4つみつかっており、住吉で5つ見つかった。実際には昭和30年まではおこなわれていたそう。
さらに上をいく行もあり、六十六部廻国巡礼がありこれは日本最大の巡礼で、写経した法華教を各国々の霊場に一部づつ納める行となる。その文献には四天王寺もリストアップされている。

この講演の際にいただきましたレジメには笈の写真や実際の巡礼さんのお写真がありましたのでいっつもその姿を思い出してしまいます。

さて、終演後に行われた抽選会ではまたしても商品をGETした母でした。
まぢ嬉しそう。たぶん家宝にするのだろう。

2011 1/29 第10回 柳谷観音 泰聖寺 講談会 旭堂南左衛門一門会

第10回 柳谷観音 泰聖寺 講談会 旭堂南左衛門一門会


場所は地下鉄の夕陽丘四天王寺前を下車、愛染坂を下ってすぐ左にある泰聖寺さん。
本年初の開催となります。


←左赤丸に「タイセウ」と書かれています。
すっごくおっきくてびっくりです。
(萬寿大阪細見図(1863))










14時開演の10分程前にご住職さんさんからのご挨拶があり、泰聖寺のご由緒をご説明いただく。なかでも興味を引いたのは法然上人(浄土宗)の入滅は1262年ということで今年は750年となる。また法然上人を師と仰いだ親鸞上人(浄土真宗)は700年となることから京都では国立博物館をはじめ記念イベントが開催される。これを逃すと次は50年後なのでおそらく私ももうあっちの世界にいるかもなのでぜひ行きたいとのこと。また、柳谷観音・泰聖寺は宝暦5年(1755)証空哲山上人による創建にて以来、山城(京都長岡京市)柳谷観音大阪霊場として信を集め、境内に湧出する「金龍水」「銀龍水」は大阪七名水のみならず「眼病にご利益あり」との評判高く、また「明治天皇御用水」の栄を授かるに至り注目を集めました。また茶道の水としても名高く、茶人・風流人が心を寄せるほどであった。
のちに当山は太平洋戦争で戦火に遭い(S20/3/14)、堂宇全てを消失したが、戦後、柳谷観音「楊谷寺」より「十一面千手千眼観世音菩薩」を拝領し本尊として安置し奉り、柳谷観音大阪別院として再出発、信仰同乗として現在に至るとのこと。
※転記

著名な将棋名人の坂田三吉(明治3年 1870/7/1~昭和21年1946年7/23)堺に生まれ、お寺のすぐ近くの伶人町に住まわれていたらしく白内障を患ったさいにその眼病平癒のために、妻のコユウさんはお百度を踏ま全快を祈願された、また三吉氏は泰聖寺にある水で眼を清められたとのこと。
また、今日は黄昏亭さくらさんがご欠席、体調がお悪いとのことで非常に残念です。








前講
黄昏亭もみじ 「山内一豊とその妻」
このお話は昨年テレビだったとおもいますが某噺家さんがされていたお話と同様。
その際は私的にも物足りなく思えた話しであっただけに、楽しみにしていました。

旭堂南斗 「黄門と農業」
私の頭の中では、東野英二郎さんが演じられていた水戸黄門様が再生されていました。
そして最後にあの「ふぁっ!ふぁっ!ふぁ!」と陽気に笑い飛ばされたかもしれませんね。

旭堂南舟 「宮本無三四」
いつも南舟さんの講談を聞かせていただくと、マクラで話される印象と講談での印象が、まぁここまでかけ離れた方も珍しいと感じています^^
それだけ、それぞれの世界感の中にご自身が入り込んで居られるからなのでしょう。
天狗飛び切りの術、、佐々木小次郎との決闘の際に使った秘術はここでマスターされたのですね♪自信が講談に凝りだしてまだ日が浅いので私も日々勉強中。とてもためになるお話でした。

旭堂南左衛門 「愛宕山梅花折り取り」

「寛永三馬術」より 曲垣平九郎(まがきへいくろう) 「愛宕山梅花折り取り」というらしい。三代将軍の家光公が秀忠公のご命日参りの際に宕山円福寺へ参った際の話。
長々と続く石段の上に咲く紅梅、白梅。さて馬術をもって如何に駆け上がり入手するか・・。
上手と名人との違いのくだりはなかなか深かった。やっぱ講談は勉強になります。

次回の柳谷観音・泰聖寺講談会 旭堂南左衛門一門会は3月の26日。第11回柳谷観音・泰聖寺講談会 旭堂南左衛門一門会は5月7日、演目はこの日付に因み難波戦記特集とのこと。

また6月に泰聖寺さんでは坂田三吉氏縁の観音様や銘水をモチーフとした創作講談がお披露目されるそう。歴オタであり、講談大好きな私としてはコレは見逃せない。

2011 1/25 子守康範 朝からてんコモリ!

ステッカーもらいましたぁ♪
改札口からむっちゃ寒そうに出てきた和田ちゃん。
まだ眠そうでしたねー^^

鉄道病院は、電車の病院ではありませーんww

2011 1/23 第28回 りっくぷち寄席 新春染丸一門会

羽曳野市立生活文化情報センター「LICはびきの」へ初めて参りました。とても美しい施設で驚きました。
LIFE(ライフ)・INTELIGENCE(インテリジェンス)・CULTURE(カルチャー)のそれぞれの頭文字をとってLICとなっているようです。
第28回 りっくぷち寄席はこんなステキな会場でなんと入場料がわずか¥1,000で林家の一門会でしかも、林家 染丸氏のお話が楽しめるという超お値打ちな落語会でホントに驚きました。


林家 染弥:天災

てっきりトップは愛染さんかとおもいきや染弥さん。マクラはタクシーでの出来事。
ネタは天災。すーっと流した感じがありました。

「堪忍のなる堪忍は誰もする、ならぬ堪忍するが堪忍。堪忍の袋を常に首へ掛け、破れたら縫え破れたら縫え」


林家 愛染:酒の粕

2009年に入門された愛染さん。初めて聞かせていただきました。
出囃子に乗って高座へ・・駆け足でパタパタと走って出てこられた愛染さん。
岡山大学で落研ご出身。3年で自主卒業された24歳。
で・・今年、弟さんが出来るそう。ご自身のプロフィールを盛り込んだ好感の持てるマクラとネタもカミカミでしたがずっと笑顔で通され好感がもてました。

林家 染雀:七段目

マクラでは林家一門のインテリジェンスな部分をチラリ。
12月13日の事始にて扇子を頂く話で、染弥さんには「松は曲がってこそ美しく、竹はまっすぐだから美しい、それぞれの本分を取り違えることなく成長せよ」との言葉が禅語で書かれていた。染雀さんには「喝」と書かれていたそう。
さて、いっつも染雀さんの話術に感心しています。巧に言葉を繋いで違和感なくお話の世界に導いてくださいます。
マクラは昨年秋に拝見した七段目の時とおんなじでしたがそれでも常に新鮮さが感じられます。
落語を語るには落語だけ知っていてはダメなんですよね。
今日の客層って初心者さんが多かったようですが、みなさんがその薀蓄に頷き、芝居話しの面白さに惹かれていたように見えました。


林家 染雀:松づくし(日本舞踊)

七段目が終わるとそのまま「松づくし」へ。見事なものです。

唄い囃せや 大黒 一本目には 池の松、二本目には 庭の松、
三本目には 下がり松、四本目には 志賀の松、五本目には 五葉の松、
六つ昔は 高砂の 尾上の松や 曽根の松 七本目には 姫小松、 
八本目には 浜の松、九つ 小松を植え並べ、十で 豊久能の伊勢の松
この松は 芙蓉の松にて なさけ有馬の 松ヶ枝に 口説けば なびく
相生の松、また いついつの約束を 日を松、時松、暮れを松
連理の松に契りをこめて 福大黒をみさいな

林家 染丸:子は鎹

軽く小話を数話。いずれも聞いた事がある話しだけどホントにおもしろい。演者さんの力量の差を感じました。
ネタの「子は鎹」。私の聞き覚えのあるバージョンではなく新鮮。
10歳になる寅ちゃんが元父からもらった50銭が、母親と糸繰りの手伝いをして落としてしまう・・そして鎹のネタフリとなる玄翁の件は特にジーンとさせられ話の中にどっぷりと浸かりました。

さて、このあとは、予想外の抽選会。
残念ながら当りませんでしたがそれでも大満足の2時間でした。

2011 1/16  第1回 イーグル寄席

第1回イーグル寄席が開催されました。会場は新大阪駅のすぐ近くにあるイーグルボウル5階のパーティルーム。
第1回目の記念すべき会に参加できた事ってすごく幸せです。
ずっと続く事をお祈りしています。
もちろんできるだけ参加させていただきます^^





桂 三ノ助 「動物園」

三枝さんの10番目のお弟子さん。三ノ助さんの高座は2008年の12月に田辺寄席で拝聴していますが当時の印象もすっかりと消えてまして初めてお会いした方?という感じで楽しませていただきました。
定番のお話をキッチリと押さえて演じられていた感じがあり好感触でした。
独自の工夫では羽織の紐wwこれは初めて見たパターンでした。


桂 枝女太 「持参金」

マクラからいよいよ本題に入る時に客席から携帯が鳴るアクシデント。
それでもさすがキッチリとつないで本題へ入られました。
そういえば、今日は携帯電話など諸注意が無かったからか・・・。初心者層がこられた寄席の際はまだまだ注意が必要なんでしょうね。
この「持参金」は元々は「不思議の五円」という題であったらしく持参金の額は五円。そしてこの五円は御縁とかけていたのでしょう。今回のネタでは20円となっていました。明治30年頃、公務員の初任給は10円程度なので今の感覚だと2万?円ができたのは明治4年。圓と表記していたらしく、生まれたばかりの明治政府のドタバタの中での切り替えで当時はもっと価値があったのでしょう。

旭堂南左衛門 「徂徠豆腐」

荻生徂徠は、寛文6年2月16日(1666年)の生まれとの事。(ちなみに没は享保13年(1728年))そして赤穂義士の討ち入りは元禄15年12月14日(1703年)なのでこのお話は徂徠が37歳の出来事となります。たしかに文献で増上寺の近くの塾生活では貧困を極めたとらしいです。江戸落語のネタにもあるらしく機会がりましたらぜひ拝聴でいたいとおもいます。色々とサイトを眺めていると一龍斎貞丈さんが原作っぽいようですが何代目なのかは不明でした。

いつものことですが、おそらく南左衛門さんの情感たっぷりの口調とその表情につい世界に入ってしまって涙が流れるんでしょう。今回も徂徠と豆腐屋さんの再開のシーンではグッときちゃいました。


笑福亭 仁嬌 「天狗裁き」

転寝をしている旦那が見た夢を次々と皆が聞きたがり大騒動になるお話。
西町奉行所のお代官よりもさらに上を行く鞍馬山僧正谷にすむ大天狗のその威厳高い様子。
そしてすっとサゲに入った爆笑は狙い通りという感じでしょう。
このイーグル寄席は仁嬌さんのお膝元との事。
本当に第1回の開催、おめでとうございました^^

2011 1/15 教科書に書かれない幕末史  会津藩と戊辰戦争

2011 1/15 教科書に書かれない幕末史  会津藩と戊辰戦争


司馬遼太郎の小説 「王城の護衛者」は、読んだことがありませんが、その書き出し部分は「松平家は仮初の恋からはじまっている」との事。お江の夫である秀忠は恐妻家とも言われているが、なかなかお江との間に男の子が生まれなかったばかりに
ついに侍女との間に子どもをもうけてしまう。この子どもは信州高遠藩保科家に預け養育。その子は正之と名付けられてすくすくと成長した。そしてついには会津24万石を受け継ぐこととなり、初代藩主となり松平の姓を名乗ることとなった。

寛文8年(1668)4月11日、保科正之は、「家訓15カ条」を定め、これを会津藩の「藩」の方針としたそう。
この家訓が戊辰戦争を激化させた原因の一つとも言われている。

大君の儀、一心大切に忠勤に励み、他国の例をもって自ら処るべからず。
若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず 面々決して従うべからず。
我々は忠勤に励み、他国がどうであれ我々は貫く。万が一、裏切るものが出たものは我々の仲間では無い!という強い語気を感じるものでした。

会津藩は日新館という7000坪もある藩校を建造、しかも日本で最初のプールをつけたというから驚き。この藩校では長沼流の軍学を教え、質実剛健を常としていたそうです。当時会津半は三浦半島の警備を担当していた事から早くから海防に関して敏感であったのでしょう。

さて時代は過ぎて幕末。
孝明天皇に政治への関与が原因で動乱期へと突入。まさに暗殺行為が横行し京都の治安が悪化。
そこで幕府は京都守護職を設け、京都の治安管理を任せることにした。
その話しを聞いた孝明天皇。お気に入りは最近起った寺田屋事変のNO1である島津久光さんをその職に就けたかったが幕府は松平容保に決定した。
その理由はいとも簡単。、桜田門外の変を例として無茶をする水戸藩の沙汰を協議していた溜まり場詰め役人はみんなが事なかれ主義。ところが1人容保公のみが大演説し存続を説いたその目立った行為がキーポイントであったそう。
もちろん家来はみな、火中の栗を拾うこともないだろうというのに家訓を例として引き受けてしまった。

文久2年12月24日、およそ1000人を引き連れて京都入りした松平容保ら。
雅な京都人は、どうせ田舎の侍達が・・と思っていたら大間違い!それはなんともきらびやかな行列だったそう。

金戒光明寺を本陣として活躍。
着任し早々の文久3年1月2日に孝明天皇へご挨拶に行き、なんと大和錦の緋色の布を拝領。7月の30日、8月5日の2回に渡る会津藩の軍事演習の際には孝明天皇の前で、前回拝領した布で陣羽織を作り着ていたそう。

そして8月18日。政変により長州が失脚。そのときはなんと孝明天皇から御宸翰(ごしんかん 天皇直筆の手紙)を頂く。その内容はこの政変を正当化する内容で、しかも歌が一首そえられていた。

こんなに孝明天皇に信頼、信用されていたのに朝敵となるなんて、実に不思議。。

そのきっかけはなんといっても孝明天皇の崩御。これにより長州が復権を果たす。

大政奉還、王政復古の後、江戸へ逃げ帰った慶喜さんを追うように
明治元年1/17に仙台藩に対し会津征討令が出た。
1/25には米沢、盛岡、秋田、各藩にも追討を命じた。
2/9には沢 為量(サワタメカズ)を鎮撫総督に、醍醐忠敬(ダイゴタダユキ)が副鎮撫総督となったが
2/26にはもう人事異動。九条道孝が鎮撫総督。そして沢 為量(サワタメカズ)は副鎮撫総督となった。
このときに参謀として、長州藩の大山格之助、世良修蔵が任命された。

3/2には京都を出発。
3/18には仙台湾に到着。
3/23には二本松、福島、中各藩にも追討するように命令がでた。
しかも朝廷より4/7までに進撃するように命令がでてしまう。
東北諸藩はどうしても情報に疎く不利になってしまう。それは参勤交代しても京都へ行くことはなく情勢を把握するのが遅れてしまう。また薩摩、長州に対する不信感、、そしてやはり言葉の壁が関連しているかもしれない。
どうしても西の言葉はきつく感じてしまうよう。特に薩摩の「オイ!」「コラ!」や警察を表す「マッポ」、体罰の「ビンタ」は怖い言葉です。
執拗に追い詰める鎮撫総督のターゲットには会津だけではなく庄内藩も入っている。庄内藩は江戸の薩摩藩邸を焼き討ちした為だそう。
そこで狙われている会津と庄内藩は密かに会庄同盟を締結。
米沢藩にも話しをした。米沢藩は保科正之に恩があるのでこれを断れない。
米沢藩 木滑要人(キナメリタケト)と会見を行い会津の謝罪を条件として協議を重ねた。
その結果、容保公の藩外での謹慎・領地の削減、鳥羽伏見の責任者を死刑の3つを条件とした。
閏4/2ようやくOKをした会津。それでも心配の種は鎮撫軍を操ってる薩長であることを見抜いている。
閏4/4には仙台、米沢の合図進撃中止を申し入れる。
閏4/11には白石城に東北各藩が集結し会津救済の嘆願書を作成。
実は彰義隊攻撃の際に、輪王寺宮公現法親王が仙台へ逃げてきているのでこれを中心として、北部政府を樹立することまで考えていたらしい。
閏4/12には伊達慶邦は九条道孝と謁見し嘆願書を渡す。
九条はこれを受け取る。。ということはOK?という雰囲気さえあったが
閏4/17には総督府は嘆願書を却下。
そして仙台、米沢に対し、再度会津征伐を命令、このときにすでに容保は罪人とまで言われている。
何故却下したのか・・・。
九条道孝・醍醐忠敬は充分受け入れる気持ちがあったが長州藩の大山格之助、世良修蔵が大反対している事をしってしまう。
世良から大山宛の密書の中に書かれていた言葉・・それは〔奥羽皆敵〕
閏4/19 福島にある金沢屋で世良を捕縛。
閏4/20 世良の首を切ってしまった。。。。もう後戻りはできない。
ついに総督府に喧嘩を売ってしまった奥羽。。
そしてようやく5/3に奥羽列藩同盟(26藩)が、そして奥羽越列藩同盟(31藩)が誕生した。

2011 1/9 浄瑠璃寺 秘仏 大日如来像公開

■真言律宗 小田原山 浄瑠璃寺

◎浄瑠璃寺との出会い

はじめてこのお寺に行ったのは今からずいぶん昔の事。
ラジオから流れてきたこのお寺の紹介情報を母が偶然聞いたらしく同行するコトとなりました。
当時は天王寺から関西本線に乗り、奈良~木津加茂と揺られるわけですが、奈良から加茂へ行く電車が数時間に1本程度しかなく大変だったと記憶しています。なによりも加茂駅から数時間をかけて徒歩でお詣りするのですから1日掛りの相当きつい行程の大変なハイキングです。

子供だった私は道中に喉が乾いて飲み物をおねだりします。「缶コーラのみたぃねん。350mlのやつ。缶でええねん。缶でええねん。」と繰り返す私に「よっしゃ。缶だけ買おたろ」という無粋な冗談を言う同行者に腹を立てた思いでがあります。
コカ・コーラの発売年代からす推察すると350ml缶は当時は70円でした。

 そして、家族のみんながこのお寺にある【秘仏 吉祥天女像】にとてつもない魅力を感じ、レプリカやお写真購入し、そしてぞれからずっと我家の守り神として鎮座されています。

それから毎年のようにお参りすることが家族の習慣となり、いろんな事がありました。
浄瑠璃寺のある当尾(とうの)にはたくさんの野仏様がいらっしゃいます。散策を繰り返すあまりに道に迷い、あたりは暗くなってくるし回りはたしか「地獄の辻」「千日墓地」(定かではありません)という場所でみんな恐怖につつまれたこともありました。
 また帰りは電車ではなくC62だったかD51だったか覚えていませんが機関車に乗ったこともありました。
山門に咲く馬酔木の香りに包まれたことも、途中の竹やぶに生えてる筍を発見したこともみんな懐かしい思い出です。  

  今では自宅から車で1時間あまりでお寺の前の駐車場に到着してしまい情緒もありませんが、当時、私を連れて行ってくれた母と二人でそんな話をしながらのドライブは格別です。今でも年に何度かお詣りいたしますがせっかく参拝されるのでしたらこの【秘仏 吉祥天女像】に会える期間に参拝ください。 加茂駅の北側には「海住山寺」(かいじゅうせんじ)というお寺があり、どういういきさつであったかは覚えていないのですが一人旅に凝っていた私は中学生の時にこのお寺に泊めていただいた記憶があります。泊めていただく交渉の際、夕食は無いことを言われたのでお湯だけで結構ですと話た私は、当日、発売され話題になっていた日清カップライス(1970年:昭和45年発売)を食べたのを記憶しています。

◎浄瑠璃寺の魅力

さてこの浄瑠璃寺は九体寺ともいい、三重塔より池をはさみご本堂を拝むと、それは東より西を拝むこととなり西方浄土となります。このご本堂の柱と柱の間には九体の阿弥陀様がいらっしゃいます。
 また三重塔には薬師如来様がおられます。現世の苦しみを取り除いてくださる薬師如来様側から娑婆(池)を望み西方の極楽浄土をおカがむということです。
 蛇足になりますが私が魅せられた仏様はこの【吉祥天女像】だけではありません。
 ご本堂の中の739年に聖武天皇の勅願により行基の開基とされた当時の空気をも感じさせる時間がとまったような空気も魅力ですが、ぜひお顔をそっと覗いていただきたいのは不動明王三尊像でお不動さんの足元にいらっしゃる童子様のお姿です。
 とても柔和なお顔をされている【こんがら童子】様と知恵の杖をお持ちになられている【せいたか童子】様です。
 そっとお二人のお顔を見させていただくと何かつかめるかもしれません。
 また1月の8日~10日にのみ、潅頂堂のご本尊で智挙印を結ばれている大日如来像様にお会いすることができます。
今年もまたお会いする事ができました。

冬場にこのお寺のご本堂に上がりますと足先の感覚が無くなるくらいに冷えますので充分あったかくしてお参りくださいませ。

2011 1/8 第90回 全国高等学校 ラグビーフットボール大会 決勝戦

ラグビーの聖地 花園ラグビー場にて開催。今年もこの高校生の最高峰を決める熱き戦いを見ることが出来ました。
当日は14時5分にKOとのことで駐車場の混雑を考えて12時半に到着し急ぎ足で競技場へ。
メインスタンドのほぼセンターライン上の比較的前に座ることができ、さっそく名物の熱々のラグマンをいただきました。
今日は真冬とはいえ、日の当たるところは温かく、時折穏やかな風が吹く絶好のラグビー日和。
ちょうどグラウンドでは東西戦が行われている最中でした。
その後、13:20にスコアボード下から大音響の花火とともに今回のテーマソングを歌うAqua Timezのミニライブがありましたが2曲で早々に終了、そしていよいよ戦いを勝ち上がってきた桐蔭学園(神奈川第2)vs 東福岡(福岡第1)の選手立ちの入場です。
なんといっても11年連続出場で今回は21回目の東福岡。昨年の覇者でもある東福岡にどう戦うか?が見ものとおもわれていた方が多いようでした。

いよいよKO!

前半2分。
東福岡。前左ラックから右中間にトライし先制5点。

やはり東福岡優勢とおもわれた直後、桐蔭の14番、15番の活躍でなんと前半が終わった時には24-10と桐蔭が大健闘!後半開始直後の2分にも7点を追加し31-10と点が開いたところから東福岡の大反撃が始まりました。その点差は3トライ3ゴール!常勝東福岡の底力!後半8分に7点。後半24分にも7点。

そして残り時間はあと1分。7点差を防いだら初優勝となる桐蔭と常勝東福岡との最後の戦いが始まりました。バックスタンドの互いの応援団の声援につつまれた後半29分、スタジアムの観客全員が声を上げました。なんと残り1分で7点をあげノーサイドの笛が鳴り響きました。

互いの全力を出しつくしたその試合結果はなんと31-31。その瞬間に東福岡、桐蔭学園の両校が優勝となりました。

グラウンドでは互いに戦い抜いた互いの選手を称えあい、表彰式が行われ、同時にスタンドでは見知らぬ者同士が、心をも繋いだこの感動的な試合を見ることが出来た喜びを互いに話し合う、そんな光景を見ることが出来ました。
そして表彰式が終わったその直後に、ひときわ大きな感動がスタジアム全体をつつみました。

それぞれの主将が同時に歩み寄り、主審を務めた麻生レフェリーに箱を手渡しました。

それは麻生レフリーの息子さんの難病「拡張型心筋症」手術の為の募金をそれぞれの関係者に事前に募っていた募金箱でした。

この募金は昨年10月にラグビー関係者らが発起人となって「修ちゃんを救う会」をつくり、1億5000万円を目標に寄付を募っていたその足しにと感謝の気持ちを込めて、両方の監督らが事前に行っていたそうです。


http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20110109ddm041050105000c.html?fr=rk


素晴らしい試合とそして感動を目の当たりにすることができ、本当に良かったとしみじみかんじた冬の一日でした。

2011 1/3 上方落語『一心寺亭』

本年2回目の落語会です。
今日も開場1時間前に到着しますと、どうやら当日券を40席程度追加されたらしく、沢山の方が並んで居られました。さすが春団治さん!

桂 吉の丞  犬の目
米朝一門の吉朝のお弟子さんとのこと。昨年、米朝さんが骨折された際に駆けつけられたとのことで、その次の日のスポーツ新聞のみだしが「国宝にひび」だそうww
さてお話の方は、非常にこなれた感があり独自のくすぐりも入れられており好感が持てました。

桂 阿か枝 太鼓腹
いつもめふ乃寄席で拝見する阿か枝さんと違い、なにかピシッとした感じ。たぶん・・・春団治さんパワーなのかもしれない。
たしかこのネタも阿か枝さんで拝聴したと記憶しています。もうきっちりと笑わせていただきました。

桂 小春団治 旅する小説家
繁盛亭が出来てから、毎年10名近くが入門されるらしい。これを「繁盛亭チルドレン」と言うとかww開場はマクラからすっぱり小春団治さんのペースになっていました。
さて今回の創作落語は、サイトによりますと10年に独演会でかけられたネタだそう。色々と海外公演をされたその思い出の地名を盛り込まれているとのこと。
小説家の「俊徳道今里先生」と編集者「立花くん」が繰り広げる爆笑話。


中入りでは抽選会が行われました。
司会は阿か枝さんと吉の丞さん。自ら「大爆笑抽選会」とハードルをあげた阿か枝さん。
見事に<ジュンク堂のレジ>で開場を沸かされました。
で、私は初日に続き、今日は小春団治さんのタオルハンカチをいただきました。新年早々にこの強運!自分でも怖いくらいです(^_^;)


春野恵子 高田馬場 中山安兵衛
有名な仇討ちもの。
浪曲は2回目で前回も春野恵子さん。
最近興味をもっている講談とはまた違って、すっごい魅力がある芸です。
主人公のその感情が歌や台詞に込められており大熱演!とくに扇を書状に見立てたあの長台詞!ホントに驚きました。


桂 春団治  寄り合い酒
たしかに名人芸って存在するんですよねー。それが証拠にいつもは、こんなところでは笑いはおきないって箇所で笑いが洩れるのですから。
口調は決して明瞭ではありませんがそれでも今日の開場にいた200人全員の脳内には、「持ち寄り散在で一杯飲む事を考えている若者」が見事に再生されていたことと思います。
間違いなく、その所作やコトバとコトバの間、そして視線が落語の世界を広げているのだと感じました。

2010 1/2 安居神社にて

昨年、自動車のお祓いでお世話になりました安居神社の宮司さんのところへ新年のご挨拶にお伺いいたしました。
おかげさまで真田幸村繋がりで色んな方と知り合うことができてとても充実した1年となりました、もちろんこの安居神社さんも、幸村さんの銅像除幕式参列や建立の寄進をさせていただいたおかげで大変ありがたく思っています。

で、宮司さんといお話をしていた途中に、ひょっと後ろをみるとソコにはなんと!!

OSKのTOPの桜花昇ぼるさんがお一人で新年の挨拶に見えられていました!

桜花昇ぼるさんのお姿は、九度山の真田祭りや幸村桜植樹祭、大河ドラマにする会の発会式などで何度もお眼にかかっていますがOFFの時の姿は初めてです!

もちろん、お写真を撮らせていただきました(*^.^*)エヘッ

※このお写真は非公開です^^m(__)m

2011 1/1 上方落語『一心寺亭』

毎年恒例の上方落語『一心寺亭』。今年も楽しませていただきました。
さて、開演が13時ということで、12時に一心寺シアターの前で待機していますと、パタパタと駆けてくる青年、福丸さんでした^^ ということで今年初の噺家さんは桂福丸さんで始まりました

二番太鼓が始まりいよいよ開演・・。ちょっち笛が奏者さんがおられなかったのか物足りなく感じました。

桂福丸 金明竹

軽く世相から入って海老蔵ネタ。そして金名竹へ。
落語会にマメに行くと年に3回くらいは聞かせてくださる金明竹。なんといっても聞かせどころはコレ!
「わて、中橋の加賀屋佐吉方から参じました。先だって、仲買の弥市の取次ぎました道具七品のうち、祐乗、光乗、宗乗三作の三所もの。並びに備前長船の則光、四分一ごしらえ横谷宗岷小柄付きの脇差し、柄前はな、だんなはんが古鉄刀木といやはっとりましたが、やっぱりありゃ埋れ木じゃそうにな、木が違うておりまっさかいなあ、念のため、ちょっとお断り申します。次は、のんこの茶碗、黄檗山金明竹、ずんどうの花いけ、古池や蛙飛び込む水の音と申します。あれは、風羅坊正筆の掛け物で、沢庵、木庵、隠元禅師はりまぜの小屏風、あの屏風はなあ、もし、わての旦那の檀那寺が、兵庫におましてな、この兵庫の坊主の好みまする屏風じゃによって、かようお伝え願います」

手振りにくわえ表情の変化が豊富な福丸さん。楽しませていただきました。


桂小春團治 祇園舞妓自動車教習所

あれ?今日の演者さんからするとてっきり中トリじゃないのかな?この後の団朝さんのお話によりますと、次の営業があるので出番を変わられたらしいです。
実は小春團治さんのTwiiterによると、帝国ホテルの落語会に行かれたようすです。

さて、お話のほうは、大阪のひったくりの話から、ニコニコパーキング、ワールトモータープールの車つながりで桂小春團治さんの創作ワールド「祇園舞妓自動車教習所」です。
まぁ本来は、教習所の教官が祇園の舞妓さんだなんて、絶対にありえへん設定だけど、その世界感を脳内で感じさせてくださる巧みさにどっぷりと浸りました。


桂団朝 子は鎹

いっつも際々にお話で会場を沸かしてくださいます。
今日は政治ネタでドッカンドッカン笑わせて海老蔵ネタ~愛乃助さんの驚くお話等で会場は釘付けです。
さて、「子は鎹」。胸を熱くさせるこのお話の中にも、クスリとするシーンをきっちりと見せてくださり楽しませてくださいました。

※東京から移植された噺らしい。東京では「子別れ」といわれており三部作だそう。「こわめしの女郎買い」「子別れ」「子は鎹」で構成されていたらしい。 参考)上方落語の歴史 前田勇著


さて、中入りでは抽選会が行われました。
司会は団朝さんと福丸さん。
で、なんと私は小春団治さんオリジナルメモ帳を、そして母はタオルハンカチをいただきました。


露の都 堪忍袋

実はお目にかかるのは初めての「露の都」さん。すっごいざっくばらんな感じでマクラでは落語というよりも、どこかの商店街の角で偶然会った知り合いの方と世間話をしているような、そんな印象でした。それでも満月乙女会にか興味深々です^^
どうしても女性が上方落語を話すとその世界に入ることが出来なかったのですが、そんな違和感を感じることもありませんでした。おそらく、声色や口調、所作に工夫をされているのにくわえて、元々この話の登場人物は女性二人と男性が一人、そして子供が一人ということだからかもしれません。


笑福亭松喬 壷算

あらら?さっきまで飲んで居られた?って感じの松喬さん。
一門の新年会は毎年2日に行われるそうでその席では笑福亭だけが、全員に白扇を進呈されるそう。1年かけて使い込んだ扇子を新しい扇子に変え、1年間、落語に精進されるのでしょう。
壷算って色んな方がされていますが、やっぱ大御所がされるとすごく面白いお話ですねー。
所謂、ボケとつっこみ的な会話かに瀬戸物屋の番頭が加わり3円+3円の世界に突入していきますので、あらゆる世代にわかってもらえる名作のお話だと、あらためて感心いたしました。


さて、帰ろうかとエレベータに向かうと、青年がパタパタと小走りで私の横を通り過ぎようとされていました。みると生寿さん!新年の挨拶をさせていただきました。外にでると、ちょうど生寿さんが松喬さんの運転手役ということでちょうどおっきな車に乗り込まれて出発されるところ。きっちりお見送りさせていただきました。