フランス風懐石料理中華風: 2010-09

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2010 9/27天正遣欧少年使節

天正遣欧少年使節は1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団で1590年(天正18年)に帰国しています。伊東マンショ・千々石ミゲル・中浦ジュリアン・原マルティノの4人。


で・・なぜ天正遣欧少年使節がデビュー曲を引っさげて帰ってきたからなのです。。



前回の「シズガタケの七本槍」も大好きでしたww

2010 9/26 堺探索

堺はほんとうに色々な歴史がつまっている町で、簡単に行けそうでなかなな行けなかった場所に行ってきました。


<天誅組義士上陸遺蹟碑>(写真右)

孝明天皇の攘夷熱にうまく取り入り国事周旋を働いた長州藩。
そのポストを利用し都合よく立ち回ればよかったものの、エスカレートした行動に孝明天皇もさすがに不安になったご様子。そんな中に出た次の勅は「大和行幸の詔」「攘夷親征の群議」。これでは幕府のメンツが丸つぶれ。

大和行幸に先立ち一足早く中山忠光卿(明治天皇の叔父さん)を筆頭とした天誅組は幕府天領の五條を目指した。

一方、孝明天皇が不安を漏らした相手が悪かった。
中川宮朝彦親王が京都守護職会津藩。聞き付けた薩摩藩とが結託し、目に余る長州藩と奸臣久家を御所からの閉めだし作戦をたてて決行された。

そうとは知らない天誅組は、京都方広寺に8/14に集合し川を下り大阪八軒家をへて天保山から堺の旭橋へ。
上陸し堺の栄橋通から西高野街道(310R)を通り、狭山の報恩寺から富田林甲田の水郡善之祐宅。8/17に河内長野の観心寺にお祀りしてある楠公さん参詣をすでに終えて、五條の町で大量殺戮を起こしてしまっている。この五條の町は、幕府の直轄領であり天領、しかも交通の要所であるのに警備が手薄ということで目を付けられてしまい静かな町が一夜にして大変なことになりました。

ところが閉め出し作戦である八月十八日の政変により孤立した天誅組は、天皇が幕府に駆逐せよとの命令を受けた津藩、紀州藩等に鷲家て壊滅させられましまいました。

http://sweet-mikan.blogspot.com/2009/12/20091219.html


<土佐十一烈士記念碑>(写真左)

森鴎外の書いた<堺事件>に詳しく書かれています。

簡単に開設しますと・・・・慶応4年にフランスの領事ら一行は大阪から堺へ入ろうとしたが
堺の警備を担当していた土佐藩に事前通告が無かった為に堺へはいらせるのを阻止。
この同日、この領事らと堺で待ち合わせをしていた士官らはデュプレクス号は堺港にはいり上陸。
通報を受けた警備の土佐藩士らは帰艦を促したが言葉がうまく通じず混乱。
フランス士官らの中に土佐藩の隊旗を倒し、奪おうとした様子が見受けられたために発砲し騒動となった。結果フランス側に数十人の死傷者がでた。
フランス代表のロッシュは日本側へ抗議し犯人の斬首、陳謝や賠償を求めた。


当時の土佐藩藩邸は西区にある土佐稲荷神社。この場所でくじで切腹する20人を決めて翌日、切腹の会場となる堺妙国寺へ移動。定刻の夕暮れに開始・・・以下森鴎外の凄まじい描写を引用します。。

切腹はいよいよ午の刻からと定められた。
***割愛***
切腹の座の背後《うしろ》に控えた。

 幕の外には別に駕籠が二十挺据えてある。これは死骸を載せて宝珠院に運ぶためである。埋葬の前に、死骸は駕籠から大瓶に移されることになっている。
 臨検の席には外国事務総裁|山階宮を始として、外国事務係伊達少将、同東久世少将、細川、浅野両藩の重役等が、南から北へ向いて床几に掛かる。土佐藩の深尾は北から東南に向いてすわる。大目附小南以下目附等は西北から東に向いて並ぶ。フランス公使は銃を持った兵卒二十余人を随えて、正面の西から東に向いてすわる。その他薩摩、長門、因幡、備前等の諸藩からも役人が列席している。

***割愛***

 呼出の役人が「箕浦猪之吉」と読み上げた。寺の内外は水を打ったように鎮った。箕浦は黒羅紗の羽織に小袴を着して、切腹の座に着いた。介錯人馬場は三尺隔てて背後に立った。総裁宮以下の諸官に一礼した箕浦は、世話役の出す白木の四方を引き寄せて、短刀を右手に取った。忽ち雷のような声が響き渡った。
「フランス人共聴け。己は汝等のためには死なぬ。皇国のために死ぬる。日本男子の切腹を好く見て置け」と云ったのである。
 箕浦は衣服をくつろげ、短刀を逆手に取って、左の脇腹へ深く突き立て、三寸切り下げ、右へ引き廻して、又三寸切り上げた。刃が深く入ったので、創口は広く開いた。箕浦は短刀を棄てて、右手を創にさし込んで、大網を掴んで引き出しつつ、フランス人を睨み付けた。
 馬場が刀を抜いて項を一刀切ったが、浅かった。
「馬場君。どうした。静かに遣れ」と、箕浦が叫んだ。
 馬場の二の太刀は頸椎を断って、かっと音がした。
 箕浦は又大声を放って、
「まだ死なんぞ、もっと切れ」と叫んだ。この声は今までより大きく、三丁位響いたのである。
 初から箕浦の挙動を見ていたフランス公使は、次第に驚駭と畏怖とに襲われた。そして座席に安んぜなくなっていたのに、この意外に大きい声を、意外な時に聞いた公使は、とうとう立ち上がって、手足の措所に迷った。
 馬場は三度目にようよう箕浦の首を墜》した。


ご興味あるかたはぜひ一読くださいませ。
<青空文庫>
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2547.html


ちなみに妙国寺には、この堺事件の様々な遺品が残っています。


<標柱石>
北波止の突堤近くからの出土品。港を出入りする舟に対し運行上の注意を促す為に
新地方(港の管理に当る役所)が慶応元年に建立したと考えられます。

<船かかり致すまじく、内へ乗り入れ申すべきものなり>

2010 9/23  やぐら寄席於:法山寺

2010 9/23  やぐら寄席於:法山寺

昨夜深夜未明から明け方にかけて激しい雷雨。どっちかといえば雷がすごくておそらく今まで生きてきた中で一番怖い雷でした。さて開演14時ですが12時半に現地に到着。本堂内はすでにキレイにセッティングされてまだひっそりしている中で
あらら・・雀太さんがすぅぅっと高座に上がられなんか物憂げな表情。
「今朝方はすごぃ雷でしたねー」とお話させていただきますと「そのころはまだ飲んでてん・・」のお話をかわきりに、ご自身の落語に関するいろんなお話をさせていただきました。先日の某寄席でサインをいただいたことをしっかりと覚えていただいているとのこと。噺家さんがお客さんをしっかりおぼえてくださってるとはホントにありがたいことです。
実はこのやぐら寄席に行く前に回転すしでお昼をしようと車で出かけたときにおもいっきり笑福亭生寿さんに遭遇^^。色々とお話をさせていただく機会がありました。

かさねがさね・・ホントにありがたいことで、お客さん冥利に尽きますねーww


桂雀太 天災

いままでのパターンでは導入は<離縁状書いてもらう>ためにやってくる主人公だけど今回のパターンはちょっと変えておられました。現代にわかりやすくするための工夫をされたのかもしれません。
表情も所作もダイナミックでよく通る声をされているので観客をグイグイと天災の世界にひっぱりこんでくださいました。


桂雀三郎 宿替え

やぐら寄席の由来から、京橋時代のおもろい飲み方のお客のお話の段階ですでに大爆笑。本題ではあのおっちょこちょいな主人公の人柄が随所にちりばめられていて前回同様、確実に私たちを笑わせてくださいました。


桂雀喜 蝦蟇の油売り

流暢な啖呵売。また端正なお顔立ちがよくマッチしていて昔懐かしい住吉さんの境内の風景を思い出します。そのあとの泥酔した商人の変貌振りが秀逸でした。


桂雀三郎 天王寺まいり

いまの季節にピッタリの天王寺まいり。
境内の様子の中を描写する江戸鮨屋、竹独楽、亀山のちょん兵衛はん、のぞきからくり(ホトトギス)に中でもお乞食さんの描写はご自身自ら、「一番上手い」といわれていただけのことはあります^^
笑いどころ満載でサゲは定番の<無礙性にはどつけんもんや>。

2010 9/20 しこく8「恋女房おりょう 龍馬を語る」

しこく8「恋女房おりょう 龍馬を語る」
放送日:2010年 9月20日(月)午後11:30~21日午前0:13
これは四国限定で9/10に放送された番組で、今回BShiで再度放送されました。

番組内容:幕末のヒーロー・坂本龍馬の実像を、妻のおりょうが晩年克明に語っている。女優の富田靖子さんが、おりょうの言葉を読み解きながらふたりの波乱万丈の人生をたどる。

詳細内容:幕末のヒーローとして注目される坂本龍馬。龍馬の魅力はこれまで数多くの小説や映画で語られてきた。しかし龍馬の妻おりょうの存在、そして彼女が晩年、龍馬との愛の日々を語った事実はあまり知られていない。番組では女優・富田靖子さんがゆかりの地の京都・下関・横須賀を旅しながら、おりょうの言葉を朗読。騒然とした時代を大胆に駆け抜けた龍馬と妻のおりょうの人生を、詩的に描いたヒューマン・ドキュメンタリー。

【出演・朗読】富田靖子, 【語り】鈴木省吾
http://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=101-20100920-10-10468


で・・・なにが言いたいかというと、【わが夫 坂本龍馬 おりょう聞書き】の文章が朗読されているということで、著者は大好きな先生の一坂太郎さんです^^

2010 9/19 第545回田辺寄席~新・じっくりたっぷりの会-笑福亭恭瓶の段~

第545回田辺寄席・長月席・昼席~新・じっくりたっぷりの会-笑福亭恭瓶の段~

今回は5月以来の田辺寄席の参加となりました。
股ケ池の蓮が元気いっぱいに広がっていて、前に見えるのが「蛇島」。
私が子供のときは蛇島とはつながっていなくて、ジャブジャブと腰近くまで水に浸かりながら渡ったものでした。





笑福亭生寿 牛ほめ

生寿さんご自身の事で、なかなか口にだして褒める事が苦手という件から、料理好きな師匠のお料理に対して上手に褒められなかったということをさらっと話されて本題に入られました。
生寿さんはイキイキと話しをされる表情や口調、所作の変化に富んでいるので、見ている側をぐいぐいと話の世界に引きずり込んで行かれる良さがあります。

笑福亭恭瓶 何考えとんね

初めて聞かせていただいたこのネタ。桂三枝さんのエッセンスがいっぱい入っているネタですね。子供をもつ親であれば一度はぶつかったことがある内容でした。

桂米輔 宿屋仇

はじめてお目にかかった桂米輔さん。プロフィールを調べにサイトへお伺いしましたところ「噺家の手拭」に見入ってしまいました。
さてお話のほうは聞きなれた「宿屋仇」。落ち着いた声量でわりと淡々と話されている印象でした。

桂文太 鷺取り

文太さんの鷺取りは今回で2回目で前回は今年の昭和の日のイベントでした。お話の後半で賑やかに織り込まれる「俄じゃ♪俄じゃ♪」が一番の聞かせどころで内容は前回とおんなじ。それでもつい引き込まれてわらっちゃいますよねー。
またいつも話題になるサゲにはびっくり♪座布団が見台の上に。。

笑福亭恭瓶 宮戸川

あれ?この話し・・どこかで聞いた・・でも思い出せない。。
ちゃんとストーリーも記憶とおり。たぶん「日本の話芸」で聞いたんじゃないかな?
で、マクラで恭瓶さんが言われていた通り、江戸前落語。ホントはスリリングな後編に入っていくらしいんだけれど今回は全編で終了。

たしか初めて聞いた時も時代背景が飲み込めず、半七が2階に上がり行灯に火をともす件で、あ・・明治かな?って・・それと
話しの内容に宮戸川がでてこないのでつい???ってなっちゃいました。

2010 9/18 俺たちの明日 ~坂本竜馬、中岡慎太郎!!幕末に散った壮絶な青春~

俺たちの明日 ~坂本竜馬、中岡慎太郎!!幕末に散った壮絶な青春~
(1980/05/08 木曜ゴールデンドラマ 21:02-22:54 )

幕末時代に精一杯生き、そして散った坂本竜馬、中岡慎太郎を中心に、若者たちのエネルギーを描いていく。幕末の京都。土佐を脱藩した坂本竜馬(中村雅俊)と中岡慎太郎(勝野洋)は二年ぶりに再会した。そこで竜馬は薩長同盟の構想をうち明けた。その後、竜馬は江戸に下り、勝海舟(石原裕次郎)に会った。今度は大阪・薩摩屋敷で西郷隆盛(梅宮辰夫)と会談し、薩長同盟の手応えを感じるが…。

主な出演:中村 雅俊(竜馬)、勝野  洋(中岡)、森下 愛子(おりょう)、多岐川裕美(お登勢)、沖  雅也(沖田)、石原裕次郎(勝)、梅宮 辰夫(西郷)、キャシー中島、范  文雀、河原崎建三、東野 英心、山本 紀彦、加賀まりこ、(ナレーター・米倉斉加年(米倉斎加年))

1980年の5月8日に一度だけ放映された【俺たちの明日】。これは版権の関係でDVDにもVideoにもされていませんがなぜか鑑賞する機会がりまして。(;・∀・)
中村 雅俊さんの超黄金期に作られただけ有る映画で、【俺達~】の関連では、俺達の勲章(S50)・俺達の旅(S50)・俺達の祭り(S52)・そして、ゆうひが丘の総理大臣(S53)と続き今回の俺達の明日(S55)となります。また同時に石原裕次郎さんや勝野  洋さんの当時の有名な番組の太陽にほえろ!はちょうど絶頂期だが、3年B組金八先生と重なり苦戦となった時期でもあります。

さてお話のほうは色々と突っ込みどころ満載ですが、全体的には明るーい雰囲気をもったあの人懐っこい笑顔をお持ちの雅俊さんの魅力がいっぱいです。BGMもスタジオ録音。音楽シーンを変えてしまったDXサウンドは皆無でアナログしてました。また和気藹々と、鹿児島への新婚旅行のシーンはちょうどジャストなタイミングの竜馬伝とまったく対照的。川へ飛び込み魚を素手で捕まえ、川原で焼いて食べながらあるく3人、竜馬がブーツを川に流してしまいあわてて追いかけるお茶目なシーンなどおもわずクスッてしちゃいました。

2010 9/18 教科書に書かれなかった幕末史 戊辰戦争

王政復古の大号令から戊辰戦争へのわずか1ヶ月間の間には色々な駆け引きがあったことは教科書には書かれていない。

舞台は江戸。撹乱作戦が起ころうとしていた。
薩摩藩邸(芝浦の三田)付近に檄文がまかれ、相楽総三を中心として500人の浪人らが大集合。
薩摩藩邸が三田糾合所と名前を変え、その目的は天璋院 の護衛のはずが実体は御用強盗。ますます悪くなる江戸の治安。
当時江戸警備を担当していたのは庄内藩(酒井家)。12/25未明にこの三田糾合所を攻撃し50人あまりが死亡する事件が起こる。(江戸薩摩藩邸の焼討事件)首謀者は京都へ脱出し、12/28には大阪にいる幕府軍に伝わり、同時に1/1には薩摩藩邸の西郷に伝わる。これは、開戦の口実ということで大いに喜んだらしい。

場所はかわり京都。

12/9に発せられた王政復古の内容を二条城にいる慶喜さんに伝えに行く役は「松平春嶽」さん。
実に嫌な役。つい先日は後藤象二郎さんから、慶喜さんは<議定>にいるはずと聞いていたが結果はつまはじきにくわえて、官位の剥奪。。

12/10には慶喜さんは激怒。この時二条城には旗本5000人+会津3000人+桑名1500人が居たので即、会戦でもよかったが慶喜さんはぐっとこらえて大阪城へ移動。
彼の心の中には、「王政復古の内容は自分はつまはじきだが、かならず私は復帰できる」と信じていたから。
それが証拠に、お金の無い新政府。12/14には新政府の出納係の戸田忠至が5万両を借りに行き慶喜さんは貸し付けている。

慶喜さんの行いは色々と新政府に影響を及ぼし、12/28の三職会議が行われ、慶喜さんを前内大臣(さきのないだいじん)というポジションへ戻そうか?という話もあったらしい。
と・・そんな良い話の矢先に!・・・・・・・・・<江戸での話が飛び込んでくる。!>


慶喜さんの選んだ選択は京都へ攻め上ることを選んだ。
1/1には<討薩の檄(表)>が発行され、これは薩摩との私闘であり、朝廷には恨みはないことを表明。
薩摩を<奸臣>と呼び、ついに戊辰戦争に突入してしまう。
1/2には大阪から京都へ向かう15000人の兵。途中、鳥羽街道と伏見街道の二手に分かれて1/3の17時頃に開戦。

実は1/2には再度三職会議が行われており慶喜の新内閣入りの話がされていた矢先に出兵の情報が飛び込んできてすべてはNGとなってしまう。
元々、容堂さんや春嶽さんは慶喜さん側。この事態を知って怒り狂った容堂さんは、まわりに当り散らし、ついには議定を辞めると言い出し●●公家が懐のピストルでおもわず狙ったらしいが後藤に取り押さえられえる。

1/3は決着がつかずに淀城へ退却。
1/4は旧幕府15000人VS薩長5000人なので数の上では旧幕府側は楽勝。ところが東寺に錦旗が上がったことで情勢が変ってくる。旧幕府は賊軍で、薩長は官軍という図式になる。

1/5に淀城へ一旦退却を図った旧幕府。ところが淀城へは入れてもらえない。淀城は譜代大名因幡家。実はこの時、殿様は不在で城を守ったのは「田辺治之助」。一部、城の門が破られ、旧幕府が入ってしまったことの疑いがかけられるかもということで切腹してしまう悲劇がおこった。

イケイケ状態の官軍。1/4には三浦五郎(奇兵隊)が抜け駆けし淀の堤の千両松へ。この三浦五郎は明治になると梧楼と改名し韓国のミンピ暗殺の黒幕。反骨将軍と呼ばれた人。

1/6には山崎方面の津藩山崎家が官軍へ寝返りいきなり桑名藩を攻撃・・そんなときに またまた事件がおこる。

1/6 PM9:00に慶喜さんは大阪城を脱出して江戸へ逃げ帰ってしまい1/7には兵隊も大阪城から退散。1/9には城に白旗が上がる。

官軍との交渉には妻木田宮(つまきでんきゅう)が選ばれ、城内で旧幕府軍との交渉をおこなっている最中に不幸がおそう。
いまでも謎とされている大阪城の謎の炎上事件。この時点で大阪城は焼けてしまい戦後まで再建されない。大阪城のない大阪が始まった。

大正になり、「昔夢会」とよばれる渋沢栄一らを中心とした慶喜さんの聞き覚えを書き残す会が発足され当時の様子が書かれている。
大政奉還の真意はNG。<討薩の檄(表)>は原文はみたが私には責任は無い!とのこと。またなぜ、大阪から東京へ逃げ帰ったのか?については会津の家老<神保修理(じんぼしゅり)>に江戸へ帰って体制を立て直したら?と注進されたから。ということがわかっているそう。

2010 9/15 般若心経

先般の日記(2010 8/8)で<舎利禮文>に関して書きました。
たらったたったすったった♪と軽快なリズムにのせて読まれる<舎利禮文>に驚きました。

さてその後、第二段や第三段が有るとの事でさっそくチェック!
今回は<般若心経>シリーズです。

手法はなんでも良いとおもいます。
どんな形であれ若年層が興味を持つことが最初であり、いつか
本物のお経に触れたときに記憶の底から甦ってくるのですから。

新しい布教の手法でしょう。でも本人は布教と捉えていないから素晴らしいんでしょうね。

■ゴスペル風「般若心経」つのだ☆ひろ(コメ付)

ウーピーゴールドバーグ主演の「天使にラブ・ソングを」を彷彿させるような
ゴスペルサウンドに仕上がった般若心教。おみごとです。




■【初音ミク】般若心経ポップ【HD720p】

初音ミクを使ったシンプルかつクセになる画が特徴♪




■歌って覚える般若心

意味までちゃんと表してくれて、とっても親切・・・なの!

2010 9/6 幕末フェチに捧げるオススメの書籍

■維新風雲回顧録---最後の志士が語る (河出文庫)  田中 光顕


まず最初に著者の「田中 光顕」氏の経歴を読んで驚きました。


天保14年(1843)、土佐藩郷士。吉田東洋暗殺事件のひとり。那須信吾の甥にあたります。
土佐勤皇党に加盟、元治元年に脱藩し長州に身を寄せ大坂攪乱の失敗の後大和十津川に潜伏。
高杉晋作や木戸孝允と交わり倒幕運動に奔走。のち中岡慎太郎の陸援隊を継ぐ。維新後は兵庫県権判事や岩倉遣欧使節団、陸軍少将などを歴任し昭和14年(1939年)に没。


ということは96歳でお亡くなりになってるわけで幕末から昭和までを生き抜かれた事になります。そして驚くべきコトは、ドタバタの幕末の生き証人だったことになります。
最後の志士が語る維新風雲回顧録
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価格:840円(税込、送料別)

 



そしてあと1冊。。。これはまだ手をつけていません。(m´・ω・`)m ゴメン…。

■戊辰物語 (岩波文庫 青 431-1) 東京日日新聞社会部



 【中古】文庫 戊辰物語
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価格:150円(税込、送料別)

2010 9/4 彦八まつり

この週末は毎年恒例の「彦八まつり」。例年以上に暑い二日間となりました。


たしか昨年は11時からセレモニーでしたが今年は1時間繰り上がり10時からとなったためどのブースもドタバタで大変だったみたいです。

さて定刻になると昨年同様に笑福亭生喬さんの明るい声でスタート。そして今年の実行委員長の桂ざこばさんからご挨拶がありました。

「みなさん、おあよーございます。暑いけどどうぞ生きて帰ってください」の声に一同大爆笑で第20回彦八まつりが開始されました。

今年サインを頂戴したのは、(頂戴した順番)桂 枝女太さん・桂 坊枝さん・桂かい枝さん・笑福亭福笑さん・笑福亭福たまさん・林家染左さん・ABC芝田アナウンサーさん・林家染雀さん・笑福亭生寿さん・笑福亭小つるさん(来月には枝鶴さん襲名です)・桂小春団治さん・桂一蝶さん・笑福亭生喬さん・桂福丸さん・笑福亭銀瓶さん。

皆様本当にありがとうございました^^

そして戦利品は桂小春団治さんがツイッターで書かれていましたダーツに参加させていただきおっきなバッグを頂戴しました^^

2010 9/2 防災週間

淀屋橋で打ち合せがおわりツイッターを確認すると平松市長さんのメッセージが。。


そっかぁ。。。防災週間なので市役所の前にはしご車がきて。。。

ほぅ。。とりあえず行ってみようということで行ってきましたww








市役所の前ではしご車が鎮座してる横で口をあけて上を眺めていますと

横に居たおねーさんが一言。



「最後尾はここですよ」



うに?



なんだろ。。。ということでおねーさんのやや後ろに並んだ直後、私の後ろに

テープが張られ署員さんが「ここで終わりでーす」の声。


どうやらはしご車体験コーナーに並んだらしいwww



ヘルメットと腰に安全ベルトとカラビナをつけて地上40mの空のたびを楽しんできました。


最上部付近でひょっと左をみると、市役所最上階のフロアでデスクワークをされている職員さんの姿が

よくみえたので思わず撮影!

すると同乗してくださった署員さんいわく「そっちやなくて、風景を撮らなかんやん」と

突込みが(;・∀・)


あれから1時間たったいまでも足がガクガクしてますww