フランス風懐石料理中華風: 2009-06

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◇2009/6/28 第25回慈光寺寄席

慈光寺寄席 17:00~19:20 

桂三四郎 子ほめ
林家 染左 皿屋敷
林家 染ニ 変わり目
中入り
林家染ニ 三十石

初めて訪れる落語会で近鉄南大阪線「今川」下車徒歩3分の便利な場所で25回も開催されていたとはまったく知りませんでした。
しかも年二回ペースとの事なので13年目。大変歴史のある寄席で貴重な存在です。
会場は現代的なビル様式に改築されたご本堂で、約80人前後で大入り満員でした。

さて16:30に鳴り出した一番太鼓のあと、二番太鼓が。そして出囃しのあと、満場の拍手に迎えられて登場したのはなんとご住職さん。
つつまれる笑いの渦に素人離れした軽妙な法話で、いっきに会場の空気が和らぎました。

桂三四郎 子ほめ
6/21の田辺寄席で拝聴したばかりの三四郎さん。いかにもいまどきの「おに~ちゃん」って感じの噺家さんです。

林家 染左 皿屋敷
ほんとは林家 染ニさんの出番だったそうですが遠方から向かっている途中とのことで林家 染左さんの出番となったそうです。

林家 染ニ 変わり目
先日、テレビで小佐田定雄さんが林家 染ニさんのことを「ハイテンション落語」と言われていたのを思い出しました。納得です^^

林家染ニ 三十石
中入りに続き再び林家 染ニさん。
いろんなところで「くすっ」と笑える場所を確実に入れてくださりそのたびに会場は笑いに包まれます。
やっぱこれが寄席の醍醐味なんでしょう。

◇2009/6/28 今川の歴史講演会

午後より下記の講演会があり拝聴してまいりました。
会場は東住吉区区民ホール。定員400名でしたが定刻が近づくにつれたくさんの方々が来られ
500人近くになっていたのではないかと思われます。

◇古代の長吉、瓜破、喜連の変貌と今川~「馬池谷」とその周辺の発掘成果から~
 財団法人 大阪市文化財協会 京嶋 覚先生
 
サイト掲載の講師のコメント
「長原遺跡・瓜破遺跡・喜連東遺跡の発掘成果をもとに、古墳時代から平安時代のこの地域の変遷を辿りつつ、今は埋もれてしまった「馬池谷」と呼ばれる谷地形が果たしてきた役割について検討し、隣接する東住吉の今川との関わりを考えてみたい。」

◇喜連の古地名調査と古今川に至る水路の復元について
~喜連の古地名調査と馬池谷から今川に至る周辺史跡の論証的な研究報告~
白河 俊義先生 (平野区寶圓寺(ほうえんじ)住職・喜連村史の会代表・和歌山大学大学院講師)

サイト掲載の講師のコメント
「今から1253年前に 「 鳰鳥(ニホドリ)の 於吉奈我河(オキナガガワ)は 絶えぬとも 君に語らむ 言尽きめやも 」 (馬史国人) と、万葉集に歌われたこのオキナガガワ(本講演では息長河と表示します)が、馬池谷から喜連を経て今川に至ることと、この歌が喜連(伎人郷)の国人邸で詠まれたことを論証します。」

私も歴史は大好きですが地層等発掘の調査を行うことで古代以前2万年前の特定地域の 地形がどうあったかを推察できるとはびっくりです。
その後日本発の地形がどうあったかや先日訪れました狭山池のダム式ため池から古代灌漑用水のための東除川、西除川の名称が聴かれたこと、またそれらの事実を立証するかのように馬池谷が存在していたという事実。色々な断片的な情報がなにかをきっかけにして繋がって行くことってまさに歴史を学ぶ上での醍醐味だとおもいます。
東住吉や平野、そして松原には古くから集落や渡来人がいたことは様々な地名で感じることができましたが、多くの聞き取り調査を行い裏付ける作業をされている方が おられたとは驚きで、大変ご苦労をされたのだとおもいます。
自分の住んでいる場所の歴史を知ることは意義のあること。今回このようなイベントを された大阪市東住吉区は素晴らしい区なんですね^^
ただ残念なことに、いずれの講演も内容が多く時間切れであったように思えました。

◇2009/6/25 夕焼け

◇2009/6/5 IRB TOSHIBAジュニアワールドチャンピオンシップ2009

IRB TOSHIBAジュニアワールドチャンピオンシップ2009, 日本大会(U20世界ラグビー選手権)が6/5よりはじまりました。
見に行きた~い!けどお仕事がぁ。(-_-、)

http://www.jwc2009.jp/




せめてもの花園の食堂にある「タックルうどんをご紹介。
はぃ。チャーシュー入りのうどんです^^

これ以外にも、トライカレーってメニューがあるそう。ドライカレーじゃないよ♪

◇2009/6/21 田辺寄席500回記念公演

第500回 田辺寄席に行ってまいりました。
田辺寄席は35年の歴史のある地域寄席で今回は500回目の記念公演ということでした






○二人癖 桂 三四郎

ご本人曰く、数年前まではロンゲだったそうで噺家一髪が長かったそう。
ソフトモヒカン風ツンツン寝癖ヘアでいまどきのお兄さんっぽい感じが印象的でした。

○動物園 桂 三風

いやぁ・・やられました。色々な噺家さんが演じられる動物園。
今までの動物園の中でも今回のは独自性があってすごく楽しかったです。
話しのツカミは「あれ?この話し初めて?」って思わせるくらい今までの動物園の違う角度で入ってきたのでおもわず引き込まれ、そのままサゲまで一直線。まさか「ブラックエンペラー」だとはww

○熊野詣 桂 文太

まさに情景が目に浮かぶとはこのことでしょうか。
熊野の森の険しい情景や空から眺めた景色、田辺の町の賑やかさでの会話が浮かんできました。

○大喜利・文福一座ーー(文福、ぽんぽ娘、まめだ、文鹿、坊枝)

なんとハイテンションな坊枝さん。またその上を行く文福さん。
ニヒルな文鹿さん。いじられキャラなまめださん。独自視点なぽんぽ娘さん。とっても楽しい一門ですね。
きっと宴会の席ってすごく音圧が高いのでしょうねー。

○曲独楽 桂 米八

ほえぇ~。すごぃです。その昔テレビで見たことはありましたが目の前で実物をみさせていただいたのはほんと初めて!
いまでも・・なんか仕掛けがあるんちゃうん?とおもうくらい。すっごぃ練習をされたのでしょうね。
ほんと感動でした。

○誕生日 桂 三枝

上方落語協会会長の登場です。
昨年の彦八まつりの際にもお会いできましたので今回2回目。でナマ落語は初めてです。

マクラを話されているときに「なにを話そうかな?」「どうしたらみんなが楽しめるかな?」みたいな表情が一瞬垣間見ることができてやっぱ三枝さんって頭がいいんだなーって妙なところで感心いたしました。

さて全ての公演が終わるといよいよ鏡開きです。
たる酒が運び込まれ楽しい歓談の場がはじまりました。

わたしは465回から参加させていただきましたのでやっと1年。
35年の長きにわたり開催、運営、企画をされてきましたスタッフの皆様、関係各所のみなさま。ほんとうにありがとうございます。心からお喜び申し上げます。

◇2009/6/20 教科書に書かれなかった幕末史 奇兵隊「栄光と挫折の6年半」

◇ 2009/6/20 朝日カルチャー〔教科書に書かれなかった幕末史〕

萩市特別学芸員・山口福祉文化大学特任教授 一坂太郎先生のお話です。
今日でお目にかかるのは3回目♪
前回と同じ席で拝聴させていただきました。

さて今回は高杉晋作氏の産物である奇兵隊についてです。

一応わたしも歴史は大好きなので晋作さんについて色々と本を読みましたがいかにうわべだけを見ていたかが理解できました。

歴史は強者がつくるもので当然そこには弱者にも関わった人と同じ数だけ歴史があるわけですがまったく語られることは無いんですよね。

文久2年の英国公使館焼き討ちについての庶民や幕府の考え方や教法寺事件について晋作の罷免の真実。
そして大廻船問屋といわれている白石正一郎の狙いと真相は・・そして戊辰戦争後の奇兵隊は・・。

まず教科書に書かれることのない歴史の真相を知ることの興味はつきません。

今回で終わるはずのこの講座がまた3ヶ月継続することになりましたのでさっそく予約をさせていただきました。

一坂先生。また3ヶ月よろしくお願いいたします(^-^)ニコ♪

◇2009/6/13 IRB TOSHIBAジュニアワールドチャンピオンシップ2009

U20世界ラグビー選手権もいよいよ大詰め!
6/17と6/21を残すのみとなりました。

花園の17日の試合は
アルゼンチン ×トンガ
スコットランド × フィジーの試合があります。

ちょっちいろんな用事が重なり観戦にいけずに残念です(^^;;;

で・・画像は花園名物♪【トライカレー】です。

ドライカレーじゃないですよーww

◇2009/6/10 ゴミ処理施設 舞洲工場

USJを通り過ぎで舞洲に近づくとだれもが驚く建物が目に飛び込んできます。

極彩色に加え異国情緒たっぷりの大阪市が誇るゴミ処理施設、舞洲工場です。





環境保護建築でも有名なオーストリア・ウィーンの芸術家フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー氏にデザインを依頼。
総工費609億円だそう。

◇2009/6/1 大阪大空襲 港区法要

昭和20年の1月の空襲に加え、その後、昭和20年3月13日、B29大型爆撃機が100機以上飛来した空襲だけでも
6月1日・6月7日・6月15日・6月26日・7月10日・7月24日・8月14日とあったそうです。

港区でベビー関連の縫製工場を営んでいた祖父と祖母の言いつけで、私の母は3月13日の空襲後すぐに滋賀県の祖父の本家(近江八幡 市辺村)へ疎開。

続いて祖父、祖母も避難してきたそうです。

当時の家計を支えていた商売道具ともいえるミシンとそして古いアルバムを数冊・・そのおかげで今の私がいて次の世代に伝える事ができました。

1回目の空襲では当時の家の向かい側までが全て全焼。

そして6月1日の空襲では私の家も全て焼けて何も残りませんでした。

 戦争が終わって母は、祖父と祖母に連れられて港区の当時の家を見に行ったそうで、
焼け野原と瓦礫が積まれている焼け野原に自分の家の冷蔵庫だけがポツリと立っていたのを寂しそうに話してくれました。

  当時港区は大阪から南方に出兵する兵隊さん達のターミナルでもあり、水や食糧を補給する寄港地の役割を果たしておりその労役に従事を強いていた人足として捕虜収容所が存在していました。

  また物資を蓄える倉庫も豊富にあったので攻撃の対象になっていたのでしょう。

その爆撃でくさんの方々が亡くなられその中には当時の私達家族と親交の深かった方々やお世話になった方々が多くおられたことでしょう。

  2008年3月頃から実家の写真を整理していたら数多くの港区での生活を偲ばせる写真が出てきたのをきっかけに当時の住んでいた場所を探すことになりました。

残念ながら当時の家は木津川の中でしたがいろんなご縁で毎年6月1日にこの港区で戦難にあわれた方々の供養塔があり毎年ご法要をされていることを知りました。

戦後50回忌までは慰霊塔の前でしたが以降は西栄寺でおこなわれており、昨年6月1日に初めて参加させていただきました。 毎年6月1日の11時より行われます。